マッテローヨ シンガポール

8月 16th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (マッテローヨ シンガポール はコメントを受け付けていません)

「振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない」とは、かの寺山修司のハイセイコーの歌ですが、それとは裏腹に振り向きたいときもあります。とくに、このコロナ禍、海外にいくことができず、だからこそ、海外に思いをはせることは大事ではないかと思うのです。

 前回はベトナムを紹介しましたが、今回はシンガポールです。自分の理解では、シンガポールを一言で表すと、明るい北朝鮮です、現地の方もそういわれるので、それほど外れてないかと。ベトナムのホーチミンがベトナムをフランス・米国から独立を勝ち得たように、独立を勝ち取った建国の父リークアンユーが良い意味で彼の考え方が残る国だと思います。

 で、この明るい北朝鮮の良い意味は、シンガポールという小さな国を発展するために、人造的、政策面であらゆる努力をすることです。それは、アジアのハブであるシンガポールのチャンギ空港、ここのトランジットは快適そのものです。あるいは、東南アジアの金融の拠点もシンガポール・香港ですよね、その昔、アナリストのとき、海外出張の際は、かならずシンガポール・香港で機関投資家を訪問していました、香港は今後どうなるかわかりませんが。やはり、ヒト、モノ、カネ、こうした場(プラットフォーム)を良い意味で人造的に作り出したのがシンガポールなのではないかと。

 現状のコロナ禍による移動制限で、こうした物理的なプラットフォームは、縮小せざるを得ない気がします。ただ、すべて、Zoomとかオンラインで完結するかといえば、そうでもないかもしれないですよね、同じモノを売るという場合であれば、オンラインと対面、人間の心情として、対面の方が良い場合もあるかと。

 まあ、ヒト、モノ、カネをリアルで集めることがなかなか難しいところもあるでしょうが、それを差し置いても、今後も物理的・論理的にもシンガポールを通らなくてはいけないモノ・コトがたくさんあるように思います。なので、いつの日かまたシンガポールを訪問したいと思います!マッテローヨ!シンガポール!

視点を変えること

8月 13th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (視点を変えること はコメントを受け付けていません)

 もう10年以上前のことです、当時は大学で研究生活をしていましたが、、そこから大きくキャリアを変えて証券会社にアナリストとして就職しました。

 当時は、ITサービス担当として、ネットワーク機器の動向・技術は何となく理解していましたが、そうした動向・技術がどう売上、利益といった財務諸表として反映されるのか、よくわかりませんでした。

 まあ、わからないなりに、自分の勘で売上高、純利益、貸借対照表、キャッシュフロー計算書などの将来の予測モデルを作ったのですが、そのモデルについて、上司をはじめとして、エラク突っ込まれました。たとえば、売上の伸び率よりも粗利の伸び率が高いのはおかしいのではないかなどです。

 当時は無我夢中だったので、ちゃんと正しいことを証明しなくてはと、近視的にとらえて、それをどうやって説明しようか必死でしたが、今思えば、これは「別の視点」なんだなと思いました。で、最近思うのは、「別の視点」です。「別の視点」は、自分の見えない視点を別の視点で教えてもらう、それによって、また違った見方があるのだと。
 
 この「別の視点」で、本当に素晴らしかったのが、「銀河鉄道の父」です。銀河鉄道は、言わずと知れた宮沢賢治です。まあ、自分はいろいろ彼の著作、評伝いろいろふれたのですが、そこからイマイチつかみどころがありませんでした。なぜ、宮沢賢治は童話を書いて、イーハトーブのような世界観を残したのだろうと。

 「銀河鉄道の父」の主人公は、宮沢賢治の父、宮沢政次郎の物語です、彼が父から質屋を継ぎ、岩手花巻で質屋を繁盛させ、満を持して、長男賢治にバトルタッチしようとするも、賢治は全くもって質屋に向いていません。で、父親は葛藤するものの、最後は賢治のやりたいことを応援します。それは、童話を書いて、イーハトーブを我々が受け入れる過程のような気がします。

 閑話休題、「別の視点」、宮沢賢治だけの視点ではわからないこともあります、むしろ、父という「別の視点」からより宮沢賢治が鮮明に浮かび上がりました。まあ、最初の予測モデルも同じですね、「別の視点」を入れることで、鮮明に浮かび上がることがあると。何が「別の視点」かはいろいろ定義はありますが、「別の視点」を受け容れる、これは大事なことと思いました。

ワークフロムホームと刺激

6月 27th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (ワークフロムホームと刺激 はコメントを受け付けていません)

 さて、6月19日に県間移動が解除され、レストラン等も再開、だいぶ日常に戻ってきましたが、家から働く(Work From Home)スタイルが定着しつつある気がします。自分は、もともと、朝9時に出社して、夕方5時の定時で帰宅するというワークスタイルではなく、成果を出すために仕事をするタイプなので、WFHは違和感ないですが、社会がこういう方向になりつつあり、それはそれでよいかなと思います。

 で、最近思うのは、WFHにおける「刺激」です。WHFの場合、当たり前ですが、通勤もなければ、ミーティングのための移動時間もないです。それはそれで、コストも抑えられるし、時間もセーブできるし、良いことだらけですが、「刺激」という点では、どうなんだろう、と。

 たとえば、自分は本を読むのが好きなのですが、最近はAmazonを昔ほど使わなくなりました。というのは、購入した本からいろいろレコメンドされるのですが、わりとジャンル・内容が偏っていて、そこからの「刺激」が少ないと思っています。むしろ、最近はめっきり減りましたが本屋だったり、ブックオフの100円コーナー、ブログの書評だったり、そっちの方が自分の知らない「刺激」があるように思います。

 Amazonの「刺激」のなさとWFHの「刺激」のなさは近いと思っていて、たとえば、通勤・ミーティングの移動の際に街の様子を見る、中吊り広告から世の中で起きていることを知る、あるいは、同僚との他愛のない会話の中から新しいアイデアを見出す、など、WFH\にはリアルの「刺激」が決定的に不足していると思います。

さて、最近の「刺激」の一つで、読んで面白かったのは、桶田毅著「最後の社主 朝日新聞が秘封した「御影の令嬢」へのレクイエム」です。朝日新聞の祖3代目社主村山美知子氏の一生を追ったドキュメンタリーです。朝日新聞のスパイとして創業家に送り込まれた筆者が、創業家ならでは苦悩等を目の当たりにして、ある意味、創業家側に翻意する物語と読みました。「御影の令嬢」の奥にあるドラマは自分にとって「刺激」でした。

閑話休題。経済学者シュンペーターは、イノベーション(革新)の源泉を新結合であると指摘しました。新結合は、自分の理解では、化学反応みたいなもので、何かと何かをつなげることで、新しいものが生まれると。で、その新結合のみなもとは「刺激」なんだと思います。まあ、革新はちょい大げさかもしれないですが、日々のうるおいも「刺激」から生まれると思います。なので、WFHも便利ではありますが、不便利?なリアルな「刺激」も必要なのではと思い、感染拡大に気を付けながらも、リアルな「刺激」も見つけていこうと思いました。

「所定」とデジタル化の視点

6月 8th, 2020 | Posted by admin in 日々の思い - (「所定」とデジタル化の視点 はコメントを受け付けていません)

 

今回のコロナ禍のなかで、何度も話題になったのが、行政の電子化の遅れです。たとえば、定額給付金について、対応が追い付かないといったところから、28の自治体で中止や休止をしているといいます。まあ、これだけにとどまらず、物理的にハンコを押す習慣とか、だいぶ、電子化は進みましたが、まだまだ道半ばと思います。

そもそも電子化とは何か?目的はデジタル化と思います。デジタル化とは、アナログを0と1のデジタルに置き換えること。

具体的には、下の図のように申請用紙などの所定の紙に手書きで埋めて、郵送、担当者がチェックして可否を判断、これがアナログの入力、送信、出力で、デジタルの場合、所定のフォームをPC・スマホとをつかって埋める、そして、担当者がチェックして可否を判断する場合(セミデジタル)と、ルールに基づいて自動判断する場合(デジタル)があると思います。

アナログ セミデジタル デジタル
入力 所定用紙に手書きで埋める 所定フォームに所定形式に従ってPC・スマホを使って埋める
送信 郵送 所要時間 1~2日 メール、クラウド 所要時間 0.1秒
出力 担当者がチェックし判断 担当者がチェックして判断 ルールに基づいて自動判断

 

で、アナログとデジタルの違いは、この「所定」にあると思います。もちろん、アナログの申請書類も「所定」はありますが、間違えて消す場合もあるし、誤ったまま提出した結果、返送されることもあります。ただ、デジタルの場合、単純な話では、電話番号には数字しか入れられないし、メールアドレスには、日本語は入力できません。すなわち、場所・規格を定める(所定)こと、これがデジタル化とも言えそうです。

それで、思い出したのは、かつてアナリストをやっていた際、企業の基幹システム(ERP)について調査したことがありました。企業の基幹システムは、文字通り基幹のシステムで、どこで、どれだけモノが売れて、どれだけ在庫が残っているかかといった販売システム、売上、利益を管理する財務システム、工場でどれだけモノを作ったかを管理する生産システムと多岐にわたります。

で、このERP構築において、論点になるのは、「所定」です、日本の企業の多くは業務に合わせてシステムを作っているので、生産と販売などつなげようとすると上手く動かないことが多いです。最初の話では、「アナログ」的な所定のやり方でシステムを作っているケースが多かったです。

で、この「アナログ」的なアプローチを変えるには、「所定」しかなくて、業務を標準化すること、あるいは、働き方をシステムに合わせること。一時的には、とてもやりにくくなります、紙ベースからデジタルにしてやりにくい、不便と同じかもしれないですね。ただ、一時的には不便になるかもしれないですが、24時間申請できますし、基本、フォーム通りに間違えなければ申請されますし、メリットも一杯あると思います。したがって、まず、踏み込むことこれが重要かもしれません。

 

 

手紙とコミュニケーション

5月 24th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (手紙とコミュニケーション はコメントを受け付けていません)

 緊急事態宣言も大部分の地域で解除され、まだ、制限は続きますが、3月に始まった自粛生活も普段の生活に、だいぶ近づいてきたように感じます。

 が、営業という話になると、まだまだ対面営業は少なく、Zoom・Teamsでのオンライン商談が多いようで、オンラインの場合、「既存のお客さんはいいけど、新規はなかなか取りにくい」という話をよく聞きます。まあ、そうですよね、既存の場合はすでに関係ができていますが、オンラインで初対面だと、相手の「息づかい」と読みづらいことは間違いなさそうです。

 閑話休題、先日、井上ひさし「12人の手紙」(中公文庫)を読みました。その名の通り、手紙だけで12人の生き様、ストーリーを語ります。たとえば、出生届から死亡届まで公式書類だけで人生を語るなど、井上ひさし流の「趣向」(=こだわり)が満載です。彼が亡くなって、もう10年経つんですね。

 この本が出版されたが1978年、いまから40年ほど前で、当時はネットもなければ、FAXもなく、コミュニケーション手段は電話と手紙くらいで、もちろん、オンライン商談もありません。今と比べてコミュニケーション手段が限定的ながらも、本書では、ペンフレンドで新しい観光案内人を開拓するなど、手紙を上手く活用していて、それがとても新鮮でした。ま、ペンフレンドは、いまだと、クレイグリストとかに近いのでしょうかね。

 40年前と現在、ネットを含めて、コミュニケーションの技術は進歩しました。が、相手に思いを伝えるコミュニケーション自体はあまり変わっていない気もします。企業にとっての「ペンフレンド」が何に相当するかわかりませんが、「趣向」を込めた手紙(メール)を書くのも一つの手かもしれないですね。「手紙」という文化自体は薄れつつありますが、相手とコミュニケーションをするということは、いつになっても変わらないと思いました。
 

 

コロナの谷を越えて

5月 19th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (コロナの谷を越えて はコメントを受け付けていません)

 5月18日に発表されたソフトバンクグループの1~3月期の最終損益は1兆4381億円の赤字(前年同期は1271億円の赤字)、日本企業としては過去最高額の赤字という。決算説明会のなかで、孫社長が「投資先のうち、コロナの谷に落ちる企業もあるが、谷を乗り越えてはばたく企業もある」という話に、なるほどと思いました。

 過去の歴史をたどると、疫病、戦争、金融危機など、自分たちの手でコントロールできない「谷」の局面は、ピンチでもありチャンスでもありました。たとえば、1300年中ごろにヨーロッパを中心に猛威を振るったペスト、それまで農民は教会、封建領主が絶対的な存在でしたが、ペストにより農民の数が減少->労働不足になり、むしろ、領主が農民に賃金を払う関係に逆転し、そうした中から人間中心運動であるルネッサンスが起きたといいます。

 日本の戦後なんかもそうですよね。太平洋戦争開戦前夜から財閥を中心に重化学工業に投資が集中しました。たとえば、1943年には指定金融機関制度が生まれ、軍が発注→三菱重工業が受注→足りないおカネは指定金融機関の三菱銀行がファイナンスというサイクルで財閥の産業に占めるシェアが上がりました。が、終戦後、財閥は解体され、ソニーのような新しい会社が生まれ、「谷」を越えました。

 で、今回も歴史は繰り返されると思います。急激に環境が変わるので、立ち行かなくなる会社も増えると思います、ただ、その谷を乗り越えて大きく羽ばたく会社もそれ以上にあると思います。で、何がその境界を決めるのか? 人間と同じように企業も健康でいることだと思います。

 やはり、企業にとって人間の「血」に相当するのが、おカネ。おカネが回らないと死んでしまいます、だから、そして、緊急時は輸血(外部からの資本注入など)は限られるので、できるだけ自分の体で代謝をよくして、キチンと生活すること。当たり前といえば当たり前ですが、人間が健康をキープするのが楽ではないように、企業も楽ではないと思います。が、そうした企業が「谷」を越えていくと思いました。

「財閥の時代」にみる人材育成とレジリエンス

5月 10th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (「財閥の時代」にみる人材育成とレジリエンス はコメントを受け付けていません)

チャレンジ系は苦手なので、マイペースで日々の本との邂逅です。コロナ禍の前に、たまたま本屋で見つけた本「財閥の時代」(武田晴人著)がとてもよかったのでシェアします。

 この場合の財閥は主に三井・三菱・住友の三大財閥で、その始まりは明治初期の政府との癒着、いわゆる、政商の時代から、銀行・資源・商社機能を含めた多角化、第1次世界大戦後の商社ブーム、昭和恐慌による財閥叩き、戦時下の重工業発展、「財閥」という切り口で日本の資本主義発展の様子を俯瞰できます。

 で、帯の「なぜ、彼らだけが成功したのか?」-本書では、三井・三菱・住友のような財閥を目指すも、先物で失敗した古河商事、第1次世界大戦中の造船需要で財閥と肩を並べる存在になったものの台湾銀行の融資停止で破綻した鈴木商店、この2社と三大財閥と何が違うのか?

 自分の理解では、1.人材の育成、と、2.時代の変化にあわせた対応力(レジリエンス)だと思いました。三大財閥は、もともと、三井家、岩崎家、住友家が「総有制」として事業をコントロールする仕組みも、明治終わりころから商社、鉱山、銀行とそれぞれの分野に精通する専門経営者を育成する仕組みが確立されていました。たとえば、血盟団によって暗殺された三井の団琢磨はもともと鉱山の経営者、そこから頭角を現し、三井財閥の総帥となる。一方、鈴木商店の場合、番頭の金子直吉が一人で鈴木商店のすべてをコントロールするカリスマ経営だったので、事業が大きくなるにしたがって、次第にその綻びが出て破綻に至ったと。これは今でもあるあるの話ですよね。

もう一つの対応力(レジリエンス)、明治の成長期の坂の上の雲の時代はともかくとして、大正に入ってくると財閥の経済占有率の高さから、時代の要請もありますが、株式会社への転換、慈善事業の強化、そして、戦時下では重工業への投資と、時代の変化にあわせて、柔軟に組織・ビジネスを変えた、変化への対応力がありそうです。これも、いまでもそうですよね、世の中は変化するので、その変化に応じて変えないと置いてきぼりになってしまいます。そして、人材の育成と変化への対応力、この2つが「なぜ、彼らだけが成功したのか?」のカギと思いました。

本書は新曜社で1993年、バブル崩壊あたりの年に刊行、今年3月に角川ソフィア文庫でリニューアルされました、こうした本をリニューアル出版した出版社に敬意を表したいと思います。で、バブル崩壊から30年近く、総合商社もだいぶ変わりましたよね、いまだと、伊藤忠商事に勢いがあるように思いますが、やはり、この2つの要素がカギとしていつの時代も変わらないのかもしれません。

みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史 史上最大のITプロジェクト「3度目の正直」

3月 20th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史 史上最大のITプロジェクト「3度目の正直」 はコメントを受け付けていません)

システム開発界隈で話題になっている本、読みました。日経コンは、アナリスト時代にお世話になったり、知り合いの筆者の方がいらしたり、自分にとってやや近い存在かもしれないです。

 IT業界のサグラダファミリアと揶揄されたみずほ銀行の次世代勘定システム、35万人月、4000億円半ば、スカイツリー建築費の七本分というとてつもないリソースを投入して、2019年7月にようやく完了しました。たしか、10年くらい前、自分がアナリストのときも、みずほ次世代案件とかあったので長かったなあという気がします。

 なぜ19年もかかったのか、自分の理解では、最初の第一勧業銀行、興銀、富士銀の経営統合のときのボタンの掛け違いが大きいと思う。当時の3行のトップはシステムについて「現場で調整してくれ」という話で方向性はありませんでした。で、現場で調整すると「ウチのシステムの方が進んでる」、「いやいや、ウチのシステムの方が業務にあってる」など機能論に終始して、結論がでず、迷走。たらればですが、トップが「これでいく」とトップダウンの方向性があれば違った結末になったと思います。これはみずほだけではなく、いろいろなところにあてはまる教訓だと思います。

 で、この本、みずほの次世代システム開発の迷走ぶりを一方的にディスるだけではなくて、次世代システム「MINORI」の概要、API連携、SOAによる疎結合あたりも取り上げていて、良い意味でも悪い意味でもフェアですね。ただ、一つあればよかったと思ったのが、今後の銀行システムがどうあるべきか、骨太の議論があってもよかったなあと。

 とくに最近はフィンテック勢の躍進が目覚ましく、銀行しかできないことがだいぶ減ってると思う。たとえば、給与振り込みも今は実現してませんが、そのうち、PayPay口座に入金みたいなこともできるはずだし、たしか、中国はもうできてますよね。海外送金も銀行経由でなくてもだいぶ実現しつつあるし、コストも安いですしね。

 「人が育った」というのがこのプロジェクトの成果ということですが、育った人を活かすのが今後の課題・チャンスなんでしょうね、やっぱ、会社が魅力的じゃないとフィンテック勢にうつってしまうし。みずほを含めて銀行がどう新しい勢力と競争・共存するのか、そして、 他山の石以て玉を攻むべし、このみずほの教訓が自分にも大いに学ぶところがありそうです。

代替肉とは何か?ビヨンドミートは何がすごい?

3月 4th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (代替肉とは何か?ビヨンドミートは何がすごい? はコメントを受け付けていません)

代替肉とは何か?ビヨンドミートは何がすごい? 世界で進む脱肉ビジネスをひも解く

いつもお世話になっているSBBITにビヨンドミートの記事を寄稿させていただきました。最近よく聞く代替肉のリーディングカンパニーです。

0から1を生み出す、これからも様々な試練はあると思いますが、この会社であれば乗り越えることができると思っています。

確定申告と踏み出す力

2月 22nd, 2020 | Posted by admin in 日々の思い | 長橋のつぶやき - (確定申告と踏み出す力 はコメントを受け付けていません)

 さて、確定申告のシーズンがやってきました。自分はかれこれ10年くらい自分で確定申告をやっています。今年もやりました。
 
 たまに確定申告のことを話すと、「それって、税理士に頼むもんじゃない?」という見方が意外に多い気がします。世代の違いもあるのかもしれないですね。まあ、自分の場合、学生のころアルバイトをしていて、勤労学生控除で母親に確定申告してもらったので、確定申告=個人でやるものという刷り込みもあるように思います。

 で、個人的には、所得の多寡はともかくとして、確定申告はできる範囲では自分でやった方が良いと思ってます。というのは、自分がどれだけ税金を納めていて、それがどう活用されるのか、身をもって体感できるからと思います。たとえば、所得の10%は住民税として控除されますが、その住民税がどう利用されるのか、結構、気になります。という点で、自分で税金の使い道を決めることができる「ふるさと納税」もよい制度ですね。

 「餅屋は餅屋」という言葉があるように、専門分野については専門家に任せた方がよい場合もあります。たとえば、会計であれば企業の決算も自分でできますが、償却資産の取り扱い、欠損金の取り扱い、繰延資産など、このあたりは自分でやるのはシンドイので税理士・会計士は必要と思います。が、確定申告の場合、まず、やってみる、こうした踏み出す力が必要な気がします。