連載中の世界ハイテクウオッチにテンセントの記事を寄稿させていただきました。
>テンセントとはいかなる企業か? 時価22兆円、ゲーム世界一、WeChat11億人の脅威
http://www.sbbit.jp/article/cont1/32290
連載中の世界ハイテクウオッチにテンセントの記事を寄稿させていただきました。
>テンセントとはいかなる企業か? 時価22兆円、ゲーム世界一、WeChat11億人の脅威
http://www.sbbit.jp/article/cont1/32290
どの記事か忘れましたが、成功する人の条件みたいな記事に、「人の成功を喜ぶ人」というのがあって、なるほど、と思いました。
たしかに、自分の周りを見回しても、世の中の定義で成功している人には「人の成功を喜ぶ人」が多い気がする。まあ、これは必要条件とは言えないけど、十分条件くらいは言えるかもしれない。
で、人の成功を喜ぶというのは、やさしいようで、結構、むずかしい。やっぱり、誰だって人を押しのけて自分が成功したいし、人が成功をしているのを見ると嫉妬したくなる。だから、人の成功をあえて喜ぶのは、自分を含めて、むずかしいことだと思う。
でも、人の成功を妬んで、その人の成功を邪魔して、揚げ足を取る、これはあまりよくない。やっぱり、邪魔するにもエネルギーが必要だし、かりに、その成功者を排除したとしても、あまり良いことがない。
たとえば、あるサッカー部に40人部員がいたとして、試合に出場できるのは11名+α。試合に参加できなかった部員がレギュラー部員に嫉妬して、あれこれ工作して、その部員を外しても、チームとしては弱体化するだけで、良いことは何もない。
むしろ、たとえ、自分が試合に出られなくても、心からレギュラー選手の成功を喜ぶ、これかと。自分の経験では、こういうマインドを持った体育会系出身者(そうじゃない場合もあり)は企業に入ってもとても強い、こういう人を採用したいものです。
「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」、陽明学では、こうした心の浄化、無私の心構えが重要と説く。まあ、すぐには難ししいですが、人の成功を妬むのではなく、人の成功を心から喜ぶ、こうしたマインドを常に持っていきたいと思うのです。
「ソニー 盛田昭夫―――“時代の才能”を本気にさせたリーダー」(森健二著 ダイヤモンド社)を読みました。自分は、直接、彼の謦咳に接したことはありませんが、知り合いには何人か彼と接した方がいて、かつ、彼の著書「MADE IN JAPAN」、「学歴不要論」も読みなかで、グローバルリーダーとしての彼を心から尊敬しています。
で、この本、500ページくらいある本だけど、一気に読めました。とくに、一人称だと自分の話になるし、かといって、ソニーの話だと、会社の話になるし。一方で、この本は、盛田昭夫、ソニー、そして、ソニーのプロダクトがフェアに書かれていると思います。強いて言えば、コロンビアピクチャーズの買収の話とその後が、わりとサラッと書かれているような。まあでも、トランジスタラジオ、トリニトロン、ベータ、ソニーの主要プロダクトの歴史がとてもよくわかります。そういう点で、今年読んだ本では、「小倉昌男 祈りと経営 ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの」に優るとも劣らないと思います。
で、順不同に思ったこと。まず、自分にとって刺さったのは、スーパーCFOとしての盛田昭夫。いまでこそ、ソニーは、日本あるいは世界に名だたるメーカーだけど、創業してからずっと、どうやって開発資金を捻出するかが課題で、彼はその資金を捻出するCFO的な役割を担っていた。具体的には、ニューヨーク証券取引所で日本企業ではじめてADR(米国預託証券)を発行(1961年)、日本企業初の完全時価発行増資(1970年)、そして、日本企業で初めてニューヨーク証券取引所への上場(1970年)、さらには、資金繰りに苦労したくないという思いからソニープルデンシャル生命の設立など、誰もやったことのないフロンティアに挑戦し、事業戦略と財務戦略を結び付けるスーパーCFOとしてソニーの土台を作ったと。日々、自分もいろいろな資金調達で苦しむ中で、この本から勇気をもらいました。
もう一つは、物事の本質を理解して、それを相手の波長に合わせて説明すること。もともと、物理を勉強して、恩師から「物の理」を探求する物理の方法論を学んだことが、彼の経営の基礎になっていると。だから、誰もやったことのないファイナンス、ベータマックス訴訟、CBSとの合弁、など物事の本質を理解して、それを相手の波長にあわせて説明する、これが彼のグローバル展開の基礎になっていると。
でも、これって、単にソニーだけの話ではなくて、裸一貫から作ったベンチャーがどう大きくなって、そして、大きくなったあと、彼は「自家中毒」という言葉で、会社が大きくなって衰退するのは、外部環境ではなく、自家(社内)に要因があると看破、事実、ソニーも何度もこの問題に直面している。というわけで、これから会社を作る、もしくは、会社に携わっている人全般におススメです。
本日、かつてアナリストの際、とてもお世話になりましたオービックからオービックスペシャルコンサート2015にご招待いただきました。ありがとうございました。
さかのぼること、今から2週間くらい前、ある経営者に「今後、会社を強くするために何が必要ですか?」と質問したところ「指揮者のような人を育てたい」という答えで、指揮者はどんな人だろうという問題意識がありました。
さいわい、とても良い席で、指揮者のマエストロコバケン氏をつぶさに見ることができました。で、素人ながらも、当たり前のことが新鮮でした。まず、指揮者は、コンマス、ソロの演奏の際は基本何もしない、言ってみれば、飛行機のパイロットが水平飛行に入ったとき、オートパイロット(自動運転)にしているものかもしれない。
でも、ソロから別のパートに移る、もしくは、曲のトーンが変わる際には、指揮者が積極的にリーダーシップをとって、トーンを変える、これも言ってみれば、パイロットが離発着の際に最新の注意を払って離陸・着陸をすることかもしれない。というわけで、指揮者は平常時は任せていればいいけど、何かあったとき、変化があったときには、リーダーシップを発揮して、あるべき道に導く、マエストロコバケン氏から指揮者のあるべき姿を感じました。
で、思ったのは、これってチームなんだなと。50人以上いるオーケストラをまとめるには、指揮者に対して「この指揮者についていこう」と思わせないと、たぶん、バラバラになると思う。だから、コンサートはあくまで結果であって、そのプロセス、チームビルディング、つまり、指揮者とメンバーと同士が信頼を醸成しあう過程が大事なんだろうなあと思いました。少なくとも、マエストロコバケン氏はうまくチームをビルドしていて、信頼関係を醸成していることが素人ながらも伝わってきました。
ひるがえって、会社も全く同じだと思う。会社という組織をビルドアップして、お互い信頼しあう、これはすぐにはできないけど、こうしてできたチームは強い。そして、こうしたチームを作れる経営者(指揮者)をたくさん作れれば、その会社は強くなるに間違いと思う。
自分はジャズのようなアジャイルな組織が好きで、もっぱら、こういうジャムセッションに是を求めていましたが、マエストロコバケン氏のリーダーシップにクラシックの世界も奥深くて面白い世界だと、新鮮な発見がありました。
インテル創業者アンディ・グローブが亡くなったというニュースにショックを受けました。自分は直接、彼の謦咳に接したことはないものの、彼と直接触れ合った知り合い、そして、彼の著書から、深く影響を受けました。理系出身のマネジメントとして、はるか先な自分のロールモデルとして心から尊敬していました。心よりご冥福を申し上げます。
自分の理解しているなかで、彼の卓越したリーダーシップは2点。ひとつは、思い切ったDRAMの撤退。もともと、DRAMメーカーとして成功したインテルが1980年代、日本勢の興隆にシェアを奪われ、忸怩たる思いでDRAM事業から撤退する。でも、その勇敢な撤退のおかげでマイクロプロセッサーに注力し、CPU市場で圧倒的なポジションまで昇華したと。
もうひとつはインテル、そして、Googleのようなシリコンバレーの会社に広く導入されている人事制度MBO(Management By Objectives)をインテルに導入したこと。社員一人一人が目標(Objectives)を設定して、それを成し遂げることが会社の目標となる考え方。
自分も経験があるけど、上司と部下がいるとして、上司は部下を管理しなくてはいけないということで、箸の上げ下げ並みにプロセスをいちいち管理しようとする。でも、プロセスじゃなくて、達成した目的に対して評価する、だから、自分の設定した目標を達成すべく努力する。これは素晴らしいアプローチだと思う。そして、こうした彼の残した考え方は後世にまで受け継がなければいけないと思いました。
2~3日前、グーグルが突き止めた社員の生産性を上げる方法という記事に思うところがありました。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48137?page=3
グーグルが突き止めた社員の生産性を上げる方法、いわく「こんなことを言ったらチームメイトから馬鹿にされないだろうか」、あるいは「リーダーから叱られないだろうか」といった不安を、チームのメンバーから払拭する。心理学の専門用語では「心理的安全(psychological safety)」と呼ばれる安らかな雰囲気をチーム内に育めるかどうかが、成功の鍵という。
これは自分にも幾度となく経験があって、たとえば、怖い上司がいると、その上司に怒られないために仕事をして、結局、お客さんのことを見ない、だから、お客さんにとってトンチンカンな製品・サービスになってしまうというのはよくあること。だからこそ、チームのメンバー同士で不安を取り除いて、お客さんにためにベストな製品・サービスを提供する、それが結果的に生産性向上につながる、ともいえるかもしれない。
で、この不安を取り除くというのは、以外と難しい。やはり、様々なバックグラウンドの人でチームが構成されている以上、自分は大したことではないと思っていても、別の人はすごく不安に感じるというのはよくあること。そうした人それぞれの不安に真摯に向き合い、解消する、これが、上司・リーダーの役割だと思うのです。
その不安を解消する良い手立てが、自分が思うに飲み会もあると思う。稲盛さんは、コンパを単なる飲ミュニケーションではなく、酒を飲み、胸襟を開いて、心をさらけ出す、それが強い組織を作るという。心をさらけ出すことで、不安を解消するということもあるのかもしれない。
まあ、誰も不安のない組織なんて存在しない、でも、そうなるように心を開いて、不安を解消することは大事なんだと思いました。
連載中の世界ハイテクウオッチにパンドラの記事を寄稿させていただきました。
【連載】世界ハイテク企業ウォッチ
Apple Musicで「瀕死」のパンドラ、巨人に囲まれても活路を見出す「奇跡の一手」とは
http://www.sbbit.jp/article/cont1/30719
連載中の世界ハイテクウオッチにフィットビットの記事を寄稿させていただきました。
【連載】世界ハイテク企業ウォッチ
フィットビットはなぜアップルを上回れたのか? ウェアラブルの隠れた王者の戦略とは
http://www.sbbit.jp/article/cont1/30543
先日ですが、とても良いお話をお伺いしました。
あるメーカーから、某内視鏡メーカーはすごい、という話です。
で、何がすごいかといえば、その会社は、将来の医者の卵である、医学部の学生のころから、医学部生向けに内視鏡のセミナー・研修等をやるという。まず、学生のうちから、内視鏡に触れさせ、何ができるかを体験し、それを10年、20年続ければ、結局、そのメーカーを使い続けるしかないと。
これは、いわゆる囲い込み、あるいは、青田買いかもしれないけど、これはこれで理に適っていると思う。
自分の比較的身近な話では、IPO系もこれに似ている。会社を設立して、産声を上げてから、数年、場合によっては、数十年かけて上場(IPO)するケースがある、確率的には魚の卵が成長魚になるくらいの低い確率。まあ、IPOは会社の「成人式」かもしれない。で、成人式の直前になって、うちのサービス使ってくださいといっても、普通手遅れの場合が多い。
たとえ、低い確率でも、産声を上げた時から、将来の成人式のために恩を売って、売って売りまくる。これは内視鏡の医学部生の囲い込みと似ているかもしれない。ポイントは、青田買いしたからといって、すべての田んぼが実るわけではない。あくまでも、5年以上で回収を見込む腰を据えた投資だと思う。
そう考えてみると、腰を据えるというのは大事だと思う。そして、長いこと、腰を据えて打ち込んできた会社は強い、そんなことを思いました。
久しぶりにワクワクしながら本を読むという経験をしたので、忘れないためにも久しぶりにブログ更新です。
「大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇」(堀栄三 文春文庫)という本です。
著書は、戦前の陸軍士官学校を出て、その後、陸軍大学校を卒業して、昭和18年10月 大本営陸軍参謀としてドイツ方面の戦局を収集・分析するいわゆる情報参謀の任につく。その後、ソ連、米国と転じ、米軍がどのような戦術で、どれくらいの規模で、いつどこに上陸するといったアメリカ軍の行軍について、公開情報、これまでの戦法、無線・暗号解読、諜者などのソースを基に多角的に分析、「敵軍戦法はやわり」といった冊子にまとめる。その分析手法について、彼はこう語る。
常に断片的な細かいものでも丹念に収集し、分類整理して統計を出し、広い川原の砂の中から一粒の砂金を見つけ出すような情報職人の仕事であった。(同書p221)
こうした緻密な分析から、マレーの虎と畏怖された山下奉文大将が率いる第14方面軍の情報参謀として、戦局が悪化するなか、米軍のフィリピン上陸の地点について、航空機の経路、無線でのやりとり、米軍の思惑などから、ルソン島西部のリンガエン湾に上陸すると予測し、それが的中。さらには、戦争が長引いていれば、米国は日本本土上陸として、米軍は昭和20年11月に九州南部、志布志湾への上陸を実際に計画(オリンピック作戦)していたが、彼ならびに彼が所属する大本営6課はこれを正確に予測。米軍の行動を的確に予測することから「マッカーサー参謀」と呼ばれた。
様々な情報を多角的に分析、数値化して、次のアクションを予測する、彼は自分の役割について「情報職人」と呼称する、これは今でいえば、データサイエンティストそのものだと思う。というわけで、データサイエンティスト自体は、大昔から存在していたわけで、名前が変わっただけ(情報職人→データサイエンティスト)だと思う。
そして、彼がどう情報を「数値化」したか。彼は、「鉄量」というKPI(Key Parameter Index:重要評価指標)を提示する。というのは、日本とアメリカでは「師団」(軍隊の一方面での作戦を遂行する単位、自分の大雑把な理解では営業、総務、技術を兼ね備えた一つの会社)といっても構成が違うので、同じ土俵で比較できない、だから、どれだけ火力があるか、それを鉄量というKPIで比較。いうまでもなく、鉄用という観点ではいうまでもなく圧倒的に米軍が勝り、彼はこう指摘する。
堀は師団という名称よりも、鉄量(火力)の差を重視していた。ほかの人々は、鉄量は精神力で克服できるという呪術的思考であった。(同書p215)
自分が思うに、これは70年前の過去の出来事と片づけることができない、いまにも通用する教訓があると思う。その一つが、データを活用した経営。データを活用した経営は大事といわれるものの、すべての会社がデータを活用しているとは限らない。自分もここ1年くらいデータサイエンスのセミナーをやらせていただきまして、いろいろな会社のデータ活用事例を教えていただきました。その感じでは、やっぱり、「うちの部門の勘は正しいから、データをつかわなくてもいい」というケースはまだ結構あるようにおもいます、いってみれば、鉄量は精神力で克服できるという発想に近いかもしれない。
ただ、「勘は正しいから、データをつかわなくてもいい」というのは、これはこれで、それほど全否定するべき話ではないと思う。勘というのは長い経験に裏打ちされたものであり、むしろ、データ分析よりも正しい場合もある。ただ、問題は何かというと、まさに、本書で指摘されている戦果の誤認識だと思う。著者は、昭和19年10月、台湾沖航空戦を間近に目撃。
黒板の前に座った司令官らしい将官を中心に、数人の幕僚たちに戦果を報告していた。
「○○機、空母アリゾナ型撃沈!」
「よーし、ご苦労だった!」
戦果が直ちに黒板に書かれる。
「○○機、エンタープライズ轟沈!」
「やった!よし、ご苦労!」
また黒板に書き込まれる。
その間に入電がある。別の将校が紙片を読む。
「やった、やった、戦艦2撃沈、重巡21轟沈」
黒板の戦果は次々と膨らんでいく。
(同書p161)
その後、彼が、暗い海のなかでどうして自分の爆弾でやったと確信しているか、アリゾナの艦型、などを質問しても、あいまいな返事しかしない、結局のところ、戦果を検証せずに、「轟沈、撃沈」と誇張、実際の戦果は、その3分の1、5分の1であったにもかかわらず、その誤った戦果をもとに、次の作戦を立案するため、相手を過小評価してしまう。それが情報なき国家の悲劇の原因であったと筆者は指摘する。
これは意外と今でも多いと思う。やっぱり、ビジネスでもうまくいっていないとき、それを正しく受け入れるのは、難しい。でも、それを正しく現状を受け入れないで、精神論で突破できるの一点張りだと、現状を正しく認識できず、ずるずると泥沼になる。だからこそ、きちんと数量化されたデータをもとに客観的に分析し、次の一手を打つ。これが情報職人、あるいは、データサイエンティストの役割だと思う。そうした点で、客観的な状況を受け入れるための経営陣、トップの度量も必要だと思う。フィリピンの第14方面軍の山下大将は彼に対してこう命令する。
レイテはこれから激戦になるだろう。今後の推移を十分見守らなければならないが、いずれは敵はルソン島に来る。いつ、どこに、どれくらいの敵がくるか、君は冷静に、どこまでも冷静に専心考えて貰いたい。これが大将の君への特命だ。口外厳禁!」(同書p190)
やっぱり、人間だれでも自分の都合が悪い情報はシャットダウンしたいと思う、でも、それをあえてシャットダウンせずに、フェアに判断する、やはり、それはトップの度量だと思う。自分の経験でも、データを使って意思決定する多くの会社は、経営、トップがよい情報、悪い情報、すべてひっくるめて判断する会社が多い。一方で、旧陸軍は、作戦の方針を決める大本営と一言にいっても、その中枢である作戦課が「奥の院」のように単独で作戦を決定し、情報を軽視したところに問題があると指摘した筆者の指摘は、そっくりそのまま、ビックデータ課をつくったところで、それを経営として活用しなければ意味がないという話と同じと思う。
戦後70年、二度とこうした悲劇を繰り返さないためには、やはり、データによるチェック機能というのは、国、国家に限らずとても重要なことだと思う。そんなことを70年前のデータサイエンティストから学びました。