さて、島耕作、今度は社外取締役になるそうですね。賛否両論あるようで。自分はジオコード、ネットスターズの2社の社外取締役をつとめさせていただいていることもあり、社外取締役について日々思うところもあります。

 もちろん、コーポレートガバナンスの強化とか、監視役とか、社外取締役にはこうした基本的な役割はもちろん大事だと思います。ただ、それにくわえて、自分の経験では、社外取締役は1.生かすも殺すもトップ次第、2.次の経営の担い手、が論点ではないかと思っています。

 1.生かすも殺すもトップ次第、京セラの稲森氏の言を俟つこともなく、どんな企業もやはりトップで決まるところが大きいと思います。で、トップの役割の一つは「使う」ことだと思います。当たり前ですが、会社はトップ一人では回りません、なので、従業員を雇って、適材適所に配置することも「使う」ことですし、社外取締役を「使う」のもトップの仕事でしょう。

 自分の理解では、この「使い方」はいろいろあって、たとえば、トップがある施策を進めようとしていたけど、社内は反対しているなかで、社外取締役を「使う」のはよくありますよね。ただ、この場合、その施策を進めるのが本当に良いのか、悪いのか、悪いなら全力で止める、胆力が必要でもあり、耳障りな事案をあえて発言するのも社外取締役の仕事の気もします。まあ、仲良しのお友達だけでは意味ないですしね。ちなみに、この「使う」というのは、前のアプリックスでトップをつとめていたとき、社外取締役の平松さんから常に「俺を使え」と叱られた影響がありそうです笑

 2.次の経営の担い手、たしか、元カルビーの松本さんはカルビーの社外取締役をつとめたことで、スムーズにトップになれたといいます。これは自分も同じ経験があり、前のアプリックス、今の野原も社外監査役からスタートしました。落下傘部隊というのでしょうかね、いきなり、全く知らない会社に外部から落下してトップになるケースもありますが、これは難易度が高いような気がします。むしろ、取締役会でどんな意思決定をしているのか、何が課題なのか、どんな社員がいるのか、社外取締役であれば全部ではないですが、ある程度、把握はできるのではないでしょうか。

 閑話休題、社外取締役島耕作、彼は業界3位の塗建会社であるウエマツ塗建工業の社外取締役に就任するそうで、同社では社長が島耕作と同じ年75歳ですが、息子と愛人の息子の跡継ぎ問題でお家騒動になっているようです。で、社長が島耕作をお家騒動収束にむけて1.どう島耕作を「使う」のか、はたまた、2.次の経営の担い手として島耕作が復帰するのか!?楽しみにしたいと思います。

Win-Win-Winの関係

2月 27th, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (Win-Win-Winの関係 はコメントを受け付けていません)

 さて、最近、この広告・CMよく見ます。キャッチは「店長、時給を上げてください!」まあ、この広告が良いとか悪いとかではなく、つらつらと思うところがありました。

 で、このCMでは、「店長、時給を上げてください!」のあとにDAIGOが演じる人材派遣会社の営業が「時給アップをお願いしています」と頼み込むところで終わります。個人的には、お願いされる側の店長が登場しておらず、一方的なお願いをやや違和感を覚えるところではあります。かつ、乃木坂にお願いされては、世の中のオジサンはクラっときてしまうのではないでしょうか笑 

 それはさておき、時流に乗っている広告であることは間違いなさそうです。政府の方針としても、賃上げする企業に税制優遇をし、さらに、原油高、世界各地での物流の停滞、あらゆる商品が値上げと、インフレまっしぐらです。なので、時給アップした方が、日本経済にも個人の懐にも良いことは間違いなさそうです。

 ただ、このCMでいえばお願いされる側の店長さらには経営の立場からすると、ホントに時給アップすることが良いのか悩ましいところです。もちろん、昨今の労働力不足で、時給アップしないと、人材が獲得できないのは仕方ないかもしれないですが、企業はゴーイング・コンサーン、将来にわたって継続するものであり、時給アップした結果、倒産してしまっては元も子もありませんよね。 

 となると、何を目指すべきか? 当たり前ですが、バイトを雇って、そのバイトがちゃんと働いて、店・会社の業績に貢献し、店・会社の業績もアップ。この好循環が続くと、バイトもさらに時給が上がるし、人材派遣会社もさらに手数料入るし、店・会社もさらに業績もアップとWin-Win-Winの関係が目指すところではないでしょうか。で、その好循環を生み出す最初の一歩が時給アップかもしれないですね。

 で、最初の違和感に戻ります。やはり、この目指すところから言えば、バイト、人材派遣会社はWin-Winですが、最後の店・会社の視点が抜けている点が違和感の正体と思いました。というわけで、バイトルさん、次回のCMではバイトの時給を上げた結果、店・会社の業績もうなぎ登りで店長・社長もハッピーという展開はいかがでしょうか笑

3人の画像のようです

Pythonを使って学ぶ機械学習【初級編】

2月 22nd, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (Pythonを使って学ぶ機械学習【初級編】 はコメントを受け付けていません)

Pythonを使って学ぶ機械学習【初級編】として5月25日にオンラインセミナーを実施します。受講者の分かりにくい点を吸い上げながら、ノウハウをためてきました。

https://johokiko.co.jp/seminar_chemical/AD220518.php

虎にならない方法

2月 11th, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (0 Comments)

 ここ1か月くらいに読んだ中で出色の出来だと思いました。タイトルは、「多様性の科学」、致命的な失敗を未然に向付け、生産性を高める組織改革を全てがここにある、です。

 この致命的な失敗の一つが、20年前の9・11テロ攻撃の際、CIAの分析官は、アルカイダがテロを計画しているという事前情報が何度もありながらも、「テロが起きるはずがない」と一蹴、世紀のミスジャッジともいわれている事象です。とはいえ、CIAの分析官がダメなわけではなく、白人男性、アイビーリーグ出身、成績優秀者のみを選抜した結果として多様性がない画一的な組織になってしまい、アルカイダの活動という点とテロという点をつなげることができなかったと。

 最近は、だいぶ減りましたが、会社でもありますよね。たとえば、だいたい同じような高校・大学の新卒を雇って、教育をして、現場で営業して、はや数十年となると、良くも悪くも考え方が画一化するように思います。やはり、致命的な失敗を未然に防ぎ、組織の生産性を高めるには、多様性が必要というのは尤だと思います。

 そして、これは組織的な話もありますが、個人の考え方もあるのかなとも思います。たとえば、「なぜルート128はシリコンバレーになれなかったのか?」ルート128は、ボストン近郊の幹線で当時の盟主はDEC、今ではほとんど見ることはないですが、1970年代のオフコンVAXとか世界のコンピューターを支配していました、ちなみに、自分が大学生のころ、DECのワークステーション使ってました、たぶん、DEC最後世代だと思われます。

さて、このDEC、秘密主義で知られ、自社内でも秘密を貫き通し、外部との交流はほとんどなかったといいます。一方、シリコンバレーは、対極のカルチャーで、エンジニアは仕事帰りにバーに集い、交流し、解決の糸口をさぐり、「情報の水平伝播」によって世界最大のIT産業地帯になったと。エートスというかそういう雰囲気がシリコンバレーにあったのかもしれないですが、これは個人の考え方もありますよね。

 で、もう一つ、国語の教科書にだいたい載っている中島敦の「山月記」、主人公李徴は、才気溢れた官僚でしたが、傲慢ゆえに、一官僚に甘んじるわけにいかずと、一人籠って詩作に専念します、いまでいうとフリーランス転向でしょうか。が詩作に、専念するも一向に上達せず、また、官僚に戻るも、同輩は遥か先に出世し、後輩に使われ、そして、己の自尊心を大いに傷つけられ、その後、行方がわからなくなります。

で、同輩がたまたま虎となった李徴と出会い、李徴は、自尊心・プライドの高さが己を「虎」にしたと後悔します。まあ、もちろん、虎は比喩ですが、どんな環境であろうと、自分の殻に閉じこもるのではなく、つまらないプライドは捨てて、外部と交流すべし、でないと「虎」になってしまうと笑

 自分もここ2年くらいコロナ禍で外部との交流が少なくなり、仕方ないなぁ、と思ってはいましたが、もしかしたらこれは自分の殻に閉じこもる「虎」化への一歩かもしれません汗、というわけで、コロナ禍なりにも、虎にならないように、外部との交流をもう少し増やせたらとも思わせるよい本でした。

魂の奥底にある「分人」

1月 10th, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (魂の奥底にある「分人」 はコメントを受け付けていません)

 年末年始に読んだ本で、とても印象に残ったのが「私とは何か 「個人」から「分人」へ」(平野啓一郎、講談社現代新書)です。


 もともと、この本のコンセプトは、これまで私は「個人」で括られることが多かったなかで、「分人」でもいいじゃない、という「私」の別の見方の提示にありそうです。


 まあ、会社でいえば、新卒で入社した会社で、ずっとその会社に勤めて、定年退職する、会社人間というのでしょうか、会社=人生=これ以上分けることができない「個人」でもあります。 一方で、最近は会社人間も少なくなりましたよね、流行りでは副業、あるいは、週末のコミュニティ活動とかでしょうか。「私」は、一人ですが、いろいろな顔・性格を持ち、分けることができる「分人」であると。


 で、印象に残ったのは、2つです。まず、「本当の自分とは何か?」と。


 今となってはもうだいぶ古いですが、自分が中学あたりのとき、尾崎豊の「卒業」が流行っていて、カラオケでも何度も歌った記憶があります。 彼は最後にこう叫ぶのですね、「あと何度自分自身卒業すれば本当の自分に辿り着けるだろう」、これはどういう意味なんだろう?と当時からずっと疑問に思ってました。 ただ、この「分人」という概念を当てはめると、何度卒業しても、その卒業した自分は「分人」であって、そうした分人も認めてあげてもよいのではないかと。 尾崎がこの曲にこめた思いとは違うかもしれないですが、20数年来の疑問が自分なりに整理できました。


 もう一つは、「分人と死」ということです。


 平野氏は最後に分人と死について語ります、いわく、「あなたの存在は、他者の分人を通じて、あなたの死後もこの世界に残り続ける。」(p154) 

最近は、だいぶ回数が減りましたが、仏壇の前でご先祖様、亡くなった方に手をあわせる、故人の思い出を語る、それは分人を通じて、残り続けると。 ピクサーの映画「リメンバーミー」も似たコンセプトですよね。主人公ミゲルは、ひょんなことから一度死んだ国である「死者の国」に舞い込みます。 この「死者の国」では、ガイコツ人間となって、生きることができますが、自分のことを思い出してくれる人が誰一人いなくなったら「二度目の死」を迎え、消滅します。 「分人」という話では、他者の分人がいるうちは、この世界に残りつづけますが、それがなくなったら、「二度目の死」を迎えると。そう考えると、ご先祖様を大事にしなくてはいけないですね。


 かつて村上春樹は、「物語というのは人の魂の奥底にある。人の心の一番深い場所にあるから、人と人とを根元でつなぎあわせることができる。」と指摘しています。 この分人も、平野氏が小説を構想するうえで、魂の奥底まで、考えて、考えた結果なのではないでしょうか。そうした魂の奥底をアクセスできる、とてもよい体験でした。

2021年 今年読んだよかった5冊

12月 26th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (2021年 今年読んだよかった5冊 はコメントを受け付けていません)

 21年もあとわずか、毎年恒例の今年の5冊です、これを投稿しないと年を越せない気分です笑 で、ここ10年以上、同じくらいのペースで本を読んでいて、今年もほぼ例年通りの94冊でした、18年から読書メーターで計測いますが、4年間ほぼ同じペースで、長年の習慣の賜物ですね。今年読んだよかった本です。


1. 起業の天才 ― これは抜群に面白かったです。リクルート創業者江副氏の評伝、謦咳に接することはありませんでしたが、江副さんはどこまでも科学・合理性を追求された方ですね。歴史に「たられば」はありませんが、リクルート事件がなければ、日本のアマゾンになっていたかもしれません。


2. エクストリームエコノミー ― 前にも紹介したかもしれませんが、ビジネス系で一番面白かったです。日本の秋田の超高齢化社会、チリの超自由競争社会、ヨルダンのザーダリ難民キャンプでの超法規社会、いずれも「超(エクストリーム)」のなかで、生き残るためのレジリエンス(復活力)、切り口が素晴らしいと思いました。


3. アルツハイマー制服 ― 青森では昔から年をとるとボケ症状が発生し、その原因の解明から、エーザイのアリセプトの開発話、さらには、最近、承認か否認かで割れているエーザイ・バイオジェンのバイオ治療薬「アデュカヌマブ」まで、ノンフィクションかくあるべしという緻密な取材が光る一冊。


4. 中部銀次郎 ゴルフの真髄 ― 今年からゴルフを始めました、まだまだ下手っぴですが、ご一緒にラウンドしましょう。自分は頭で理解するタイプなので、いろいろなゴルフ本を読みました。そのなかで、中部銀次郎氏、プロに最も近いアマと呼ばれた方、プレーが上手いこともさておき、ゴルフに対する姿勢、一言でいえば、「人生はゴルフそのものである」、人生を競馬に例えたゴルフ界の寺山修司といったところでしょうか。いいときもあれば、悪いときもある、それを受け容れることに彼の真骨頂があるように感じました。


5. 嫌われた監督 ― プロ野球とは残酷なもので、契約書には勝つべしと明記されて、勝つための確率をあげるために守備を強化する、ホームランに頼らない、という地味な取り組みで落合監督はリーグ優勝、日本一と結果を出したものの、華がない、若手を育成しないなど結果的に「嫌われ」ました。組織もそういうことありますよね、結果は出すけど、嫌われる人。でも、「好かれる」ために余計なことをするより、結果を出すことにフォーカスする、こちらの方が大事です。この本はそんな結果を出すことは何か?について考えるきっかけになりました。


2022年も新しい本との出会いを楽しみにしています。

読書メーター: https://bookmeter.com/users/814464/bookcases/11659778?sort=book_count&order=desc

必要十分条件とわかりやすさ

12月 12th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (必要十分条件とわかりやすさ はコメントを受け付けていません)

たしか、先日の日経新聞に、経済活動を担う生産年齢人口(15~64歳)はここ5年で226万人減少していて、今後はデジタル化等の生産性の向上が必要という話がありました。まあ、生産年齢人口は減っているのも事実ですし、デジタル化などで生産性向上も必要ですよね。

 が、生産年齢人口減少という「課題」に対する対策は本当に生産性向上だけでしょうか?もちろん、生産性向上も大事ですが、たとえば、外国人の活用もそうですし、あるいは、今後の生産年齢人口を増やすために、子供を増やしやすくする、いろいろあると思います。

 まあ、これは生産性向上が解決策としてよいわるいという話ではなくて、これは必要十分条件の話と思いました。前回の帰納と演繹と同じで、そういえばそんなのあったですよね。自分もそんなのあった状態だったのですが、いつぞやか、マッキンゼーのコンサルタントが必要十分条件を上手く使いこなしていて、こういう整理方法もあるのだと感心して以来、使ってます。

 ざっくり言うと、十分条件は、ある仮説を十分に満たすための要素、たとえば、人口減少の課題解決するために必要な仮説は、DX化、子育て支援、外国人の活用とかです。で、必要条件は、その表裏一体で、DX化、子育て支援、外国人の活用は、人口減少の課題を解決すると。

 で、ポイントは、必要十分条件で、最初のように今後の人口減少の課題=DX化だとわかりやすいですが、それ以外の選択肢が見えなくなってしまう点かもしれません。やはり、わかりやすくするには選択肢をできるだけ落とした方がわかりやすいし、一方で、選択肢が多いと「何が言いたいのかわからない」状態になってしまいますね。

 さて、話を戻すと、何でもそうですが、メディアの場合、やはり、わかりやすく伝えるのが仕事と思います、なので、そのわかりやすさを「本当にそうなの?」、「他にも選択肢があるのでは?」と問いかけること、いわゆる、反証可能性に近いことかもしれないですね。

たしか、先日の日経新聞に、経済活動を担う生産年齢人口(15~64歳)はここ5年で226万人減少していて、今後はデジタル化等の生産性の向上が必要という話がありました。まあ、生産年齢人口は減っているのも事実ですし、デジタル化などで生産性向上も必要ですよね。

 が、生産年齢人口減少という「課題」に対する対策は本当に生産性向上だけでしょうか?もちろん、生産性向上も大事ですが、たとえば、外国人の活用もそうですし、あるいは、今後の生産年齢人口を増やすために、子供を増やしやすくする、いろいろあると思います。

 まあ、これは生産性向上が解決策としてよいわるいという話ではなくて、これは必要十分条件の話と思いました。前回の帰納と演繹と同じで、そういえばそんなのあったですよね。自分もそんなのあった状態だったのですが、いつぞやか、マッキンゼーのコンサルタントが必要十分条件を上手く使いこなしていて、こういう整理方法もあるのだと感心して以来、使ってます。

 ざっくり言うと、十分条件は、ある仮説を十分に満たすための要素、たとえば、人口減少の課題解決するために必要な仮説は、DX化、子育て支援、外国人の活用とかです。で、必要条件は、その表裏一体で、DX化、子育て支援、外国人の活用は、人口減少の課題を解決すると。

 で、ポイントは、必要十分条件で、最初のように今後の人口減少の課題=DX化だとわかりやすいですが、それ以外の選択肢が見えなくなってしまう点かもしれません。やはり、わかりやすくするには選択肢をできるだけ落とした方がわかりやすいし、一方で、選択肢が多いと「何が言いたいのかわからない」状態になってしまいますね。

 さて、話を戻すと、何でもそうですが、メディアの場合、やはり、わかりやすく伝えるのが仕事と思います、なので、そのわかりやすさを「本当にそうなの?」、「他にも選択肢があるのでは?」と問いかけること、いわゆる、反証可能性に近いことかもしれないですね。

帰納と演繹

11月 15th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (帰納と演繹 はコメントを受け付けていません)

 ちょっといい話です。帰納法と演繹法というと、高校の数学であった気がしたけど、もう忘れた、だいたいそんな感じではないでしょうか。ま、帰納法と演繹法、名前自体はそれほど大事ではないと思います。

 むしろ、大事なのはそれぞれの役割で、帰納法は、ボトムアップ、ミクロの目、具体的な様々な事象から一般的な結論にもっていくアプローチです。たとえば、鉄の値段があがる、醤油の値段があがる、パンの値段があがる、こうした具体的な値段があがることから示唆される一般的な結論は物価が上がる(インフレ)、といったところです。

 で、演繹法はその逆で、トップダウン、マクロの目、一般的な結論・仮説をもとに、具体的な事象を敷衍するアプローチです。物価の話でいえば、いまは物価が上がっている(インフレ)、だから、鉄の値段があがる、醤油の値段があがる、パンの値段があがる、というアプローチです。

 で、最近思うのは、ロジカルシンキングというか、何かしらの論拠に基づいてキチンとコミュニケーションができる人は、こうした帰納(ボトムアップ)と演繹(トップダウン)を自在に使いこなしているように思います。空中戦というのでしょうかね、概念的でわかりにくい話であれば、「具体的にはどういうこと?」という問いかけで、演繹(具体化)する。あるいは、具体的な話であれば、「それ、まとめるとどういうこと?」ということで、帰納(一般化)する。具体化と一般化を行き来する、それによってわかりやすさが生まれるのだと思います。

 そういえば、かつてお伺いしたことがあるのですが、建築家も同じアプローチのようですね。こうした家を建てたいといったコンセプト、一般論があって、それを演繹(トップダウン)で具体的な要素・材料に落とし込む。そして、具体的に落とし込みながらも、帰納(ボトムアップ)で、一般的なコンセプトに近づける、この演繹と帰納の行き来がよいモノを生み出すのだと思います。

 さて、帰納(ボトムアップ)と演繹(トップダウン)、ともすれば、どちらかに偏りがちのように思います、「今までは自分はトップダウンアプローチでやってきて、これが正しい」みたいな。それはそれでありなのかもしれないですが、それ以上に帰納(ボトムアップ)と演繹(トップダウン)を行き来すること、これが大事のような気がしました。

知ることと行うこと

10月 26th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (知ることと行うこと はコメントを受け付けていません)

  先日、ある方とお話して、いろいろ気付きがあったので、シェアします。最近の10代、20代、ほとんど新聞を読んでいないと言います。まあ、それはそうですよね。これまでは、ニュース・情報を把握する手段は、新聞・雑誌・ニュースでしたが、いまは、新聞がなくても、ネットで十分です。たとえば、自分もスマートニュースを毎日読んでますが、興味があるニュースが集約されていて、便利ですよね。

 そういう意味で、紙の新聞がこれからどんどん減るのは仕方ないかもしれません。ただ、一歩引いて、大事なのは「知る」とはどういうことか、なのではないかと。まあ、新聞、ネットを問わず、毎日、いろいろなニュースが入ってきます。昨今では、週末の衆議院選挙の動向なんかそうですよね。

 やはり、選挙の場合、発信側の候補者の動機は単純で新聞・ネットを通じて、情報・政策を発信して、我々は、そのニュース・告知を「知り」ます。で、おそらく、大事なのは、単に「知る」ことで終わるのではなくて、そこから「実行」につなげることなのかと。まあ、この選挙でいえば、候補者の言っていることは納得できる、だからこの候補者に投票しよう、といったところでしょうか。あるいは、ネットニュースでダイエット法が紹介されていたから、それを実践する、これもアリですよね。自分が知ったことを実行する、自分が是とする陽明学の「知行合一」でもあります。

 さて、自分が知ったことを実践する、これは知ったことと実践することの「差・ギャップ」があればあるほど、面白い、価値がある、イノベーションなのかと思っています。たとえば、今から160年近く前の幕末・明治、福沢諭吉は咸臨丸に無理矢理ネゴって乗せてもらい米国、渋沢栄一は徳川昭武の随行としてパリに訪問しました。そこで「知った」ことを日本で実践して、近代日本の礎となりました。

 閑話休題、新聞の話。まあ、10代、20代が新聞を読まないこと、それはそれで仕方ないかもしれないです。ただ、むしろ、重要なのは、「知る」ことを「実行」すること、そして、「知る」の裾野が広い方がよいと思います。今の時代、かつての福沢諭吉、渋沢栄一が「知った」未知の世界は少なくなっているかもしれないですが、どんな媒体を問わず、「知った」ことを「実行」する、これが大事なのかなと思いました。

真鍋さんにみる個人プレーと団体プレー

10月 9th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (真鍋さんにみる個人プレーと団体プレー はコメントを受け付けていません)

 10月のはじめと言えば、ノーベル賞ウィーク、今年はノーベル物理学賞に気象学者真鍋さんが選ばれました。50年近く前、コンピューターが普及していなかった状況のなか、計算量が必要な大気モデルを構築したこと、まさにパイオニアだと思います、おめでとうございます。さて、真鍋さんは日本生まれですが、米国国籍、記者会見でなぜ国籍を変更したかという質問に対して、「日本人はいつもお互いのことを気にしていて、調和を重んじる関係性を築いている一方アメリカでは他人の気持ちを考えず、好きな研究に集中できるから国籍を変更したと」いいます。


 たしかに、アメリカの場合、調和を重んじるというより、ある道に突き詰めた人をリスペクトするカルチャーはありますね。あと、大学の場合、テニュア(終身在職権)を取得すると、研究費は自身で調達しなくてはいけなかったと記憶してますが、定年とか関係なく好きなだけ在籍することができますよね。日本の場合、定年を越えると名誉教授とかなるのとはちがって、自分の好きなことを生涯通じて取り組める、このあたりは日本よりアメリカの方が分がありそうです。


  一方で、調和を重んじる関係性というのはデメリットだけではない気もします。たとえば、最近の例では、ワクチン接種、日本では調整が遅れてスタートしたのは春あたりでしたが、お互いのことを気にするカルチャーならではないでしょうか、あっという間に60%を越えて、アメリカよりも接種率は上がっています。あとは、会社でもそうですが、チームプレーは全般的に他人に関係なく、自分の好きなことをしていればよい、というわけにはいかないですよね。というわけで、調和によって新しい価値を生み出せることもあるのかと。


  おそらく、これは個人で完結する個人プレーかお互いの調和を重んじる団体プレーかという話と思います。真鍋さんは、団体プレーが窮屈で個人プレーに専念して、そしてその研究の成果がノーベル賞に結び付きました。そして、団体プレーでは、一つの方向に向けてお互いを気にしながら、調和を重んじることがよい結果につながることもあります。で、これはどちらかがよいというのではなく、それぞれの特性なのかもしれないです。自分はもともと個人プレーで団体行動は大嫌いでしたが、30歳過ぎくらいになってからですかね、チームとして一つの目標に目指す、団体プレーが楽しくなってきました。

  どういう人が個人プレーに向いていて、どういう人が団体プレーに向いているのか、それは人それぞれで共通の解はない気もしますし、自分のように変わることもあります。ただ、真鍋さんからのレッスンがあるとすれば、日本も個人プレーに対して認める、あるいは、場を提供することがあってもいいのかもしれないと思いました。