2015年のご挨拶

1月 4th, 2015 | Posted by admin in 日々の思い | 長橋のつぶやき

新年明けましておめでとうございます

昨年1年を振り返って、吉田松陰の「講孟箚記」の一節がとても印象に残りました。

吉田松陰といえば、今年の大河ドラマにも登場しますが、志の人です。

下田に停留する黒船に近づき、渡航を企てるものの、失敗。囚われの身となり、故郷萩の野山獄に投獄されます。

囚人たちに、自分が何かできないことはないかと、始めたのが、自身の思想の寄り所である孟子の講義であり、こんな一節があります。

「吾の魯候に遇はざるは天なり」
この一語、是、孟子自ら決心して天に誓う所なり。故に時に遇ふも遇はぬも、皆天に任せて顧みず、我に在りては道を明らかにし義を正しうし、言ふべきを言い為すべき為すのみ是を以て、孔・孟終身世に遇はずして道路に老死すれども、是が為に少しも愧ずることなく倦むことなし。今、吾が輩の幽囚に陥りて、「孟子」を読む、宜しく深くこの義を知るべし。
「講孟箚記」講談社学術文庫 p110

孟子が生きた中国戦国時代、諸子百家と言われるようにたくさんの遊説家が諸侯に策を献じ取り入られました。その多くは、「どうしたら敵をやっつけられるか」、「どうやって自分の軍隊を強くするか」、今でいえば、「どうしたら売上を増やせるか?」、「どうやってライバルに勝つか?」といったところでしょうか。しかし、孟子はそうした諸侯が求める実利的なアドバイスは一切せず、孔子が求めた仁義による道徳政治を説くものの、あまりにも理想主義なこともあり、どの諸侯ももろ手を挙げてその理想主義を採用するわけではありませんでした。だからといって、少しも愧ずることなく倦むことなし、であったと。

吉田松陰も、囚われの身となり、いつ、出所できるかわからない身のなかで、少しも愧ずることなく倦むことをしない。これが重要と説きます。

これは現代にも共通することではないでしょうか。

たとえ、時に遇わないものがあろうとも、道を明らかにし義を正して、その道を進む。そんな一年でありたいと思います。

今年もどうぞよろしくお願い致します。

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