先週のこと、彼の突然の訃報に呆然としました。
その昔、自分が証券アナリストであったころ、機関投資家(アナリストにとってお客さん)の彼にプレゼンをする機会がありました。
社内の営業曰く、「彼に上手く食い込めれば、他もきっと上手くいく」と。
長い大学生活を経て、初めて社会人となったそのときのことです。そのときは、本当に右も左もわからなくて、今から振り返れば、恐る恐るの訪問した。
でも、彼は、アナリストとして未熟な自分に対して、何一ついやな顔をせず、暖かく真摯に丁寧に対応してくれました。
アナリストとして、3年近く、やっていけたのは、彼という暖かく見守ってくれる存在があったからだと思います。
その後、自分がプータローとして放浪していたときも、人一倍、自分のことを気にかけてくれて、声をかけていただいて、四谷三丁目でおごってくれたあの夜はいまでも忘れることはできません。
あれから数年、彼の温情に対して、自分は何を返してあげたのだろう。
たぶん、何一つ恩返しできなかったと思う。思うたびに、呵責の念に堪えません。
ローマの哲人セネカは、「人の生きるところは「今ココニ」しかない。「今ココニ」を全力で生きることが、人生を生きることなのだ。」と指摘する。
たしかに、「今ココニ」を全力で生きることは重要かもしれない。でも、「今ココニ」だけを考えるのは辛すぎる。
自分ができることといえば、彼の生き様を伝え、彼を少しでも見習って、暖かく接して、すこしでも、彼への恩返しをすることなのかもしれません。
いまでも心の整理ができません。心よりご冥福申し上げます。ありがとうございました。