師団長はつらいよ

8月 27th, 2024 | Posted by admin in 日々の思い

さて、「第百一師団長日誌 伊東政喜中将の日中戦争」を読みました。もともと、師団長というポストが、具体的に何をするのか、興味がありました。で、日誌の主人公の伊東中将は、明治14年(1881年)生まれで、明治37年(1904年)の日露戦争にも出征し、昭和12年(1937年)、56歳で予備役編入後も、同年の盧溝橋事件で日中戦争が勃発したことで、101師団長に就任。この日誌では、昭和12年の師団長就任から中国廬山で負傷するまでの約1年にわたって日々の活動が詳細に記されています。

 自分の理解では、師団とは単独で一つの作戦が可能な集団、会社でいえば、営業だけでは会社を運営できません。営業があり、場合によって製造があり、事務があってはじめて会社は成立します。というわけで、師団はさしずめ会社の社長みたいなものでしょうか。実際に、101師団は、2つの旅団、15の大隊から構成されていて、構成人員は25,000人くらいで、大企業の社長以上のステータスだったのではないでしょうか。

 ただ、一口に社長といっても、所有権(株式)を持っているオーナー社長もいれば、入社して順調に出世街道を歩んで社長になったサラリーマン社長があります。師団長の場合は、後者のサラリーマン社長ですね。旧日本軍の場合は、天皇陛下の軍隊という建付けなので、ボスは天皇陛下ですが、親任された師団長は自由に指揮できたかというと、伊東中将に限ってはあまりそういう状況ではなさそうです。

 そもそも101師団は、盧溝橋事件から飛び火した第2次上海事変に対応するための特設師団でした。もともと、昭和6年(1931年)の第1次上海事変では、2個師団で、上海周辺をコントロールできましたが、戦線拡大に伴い、特設師団の投入を決めました。特設師団は、ある地域に根差した通常師団ではなく、急遽、東京・神奈川を中心に招集した部隊から編制されました。通常師団の場合、

 この特設師団の難しさは、やはり、急遽集めた人員なので、訓練も十分とはいえず、伊東中将の思うように動いてくれなかったようです。会社もそうですよね、通常師団であれば地元で新卒を採用してじっくり育成するということができたのですが、特設師団の場合、ある程度、経験採用でフィルタリングされていますが、戦闘時はともかく、上海の警護任務では士気が低下したり、やはり「同じ釜の飯を食う」仲間でないので、そのモチベーションの維持が大変だったようです。

 くわえて、上からのプレッシャーもあります。101師団のミッションは何度か変わります。まず、最初は、第2次上海事変の対応として、101師団のミッションは上海近郊の要衝大場鎮の攻略ですが、2個師団で対応できていたのを、中国側も戦力増強したこともあり、特設師団投入を決めました。というわけで、相手もなかなか手ごわく、日によっては予定した場所に辿り着けなかったこともしばしばあり、上位の軍司令部からは、「何グズグズしてるんだ?」的な上からのプレッシャーがあったようです。一方で、激しく戦果を交えているため、消耗戦の様相もあり、負傷した人員の補充、装備の補充など、伊東中将が丹念に把握し、補充をリクエストするなど、選ばれし師団長という立場といえども、苦労が多く、大変だったのだろうなあ、としみじみ思います。ちなみに、伊東中将は、廬山にて負傷したあと、日本に戻り、その後は、101師団で戦死された家族の訪問をライフワークにされました、大変な仕事ながらも、部下を心から思う慈悲にあふれた素晴らしい方だったようです。

 最後に、会社の社長がある分野に特化したスペシャリストでなく、経営全般を担うゼネラリストのように、師団長もゼネラリストです。が、伊東中将は、長らく砲兵出身で、砲兵学校長も経験されるなど、当時の陸軍の砲兵の権威でもありました。日誌でも、どうやって砲兵を運用するか、かなり細かい記述があります。ただ、この砲兵にくわしいことが逆に仇になっているところもあるようで、伊東中将の後任の斎藤師団長は、「第101師団は火力戦闘、なかんずく砲兵の使用に重点を置けるに反し、第106師団は歩兵独力の夜襲に重点を置きたるが如し、いずれを可にするかは状況に依るも、小官は今少しく夜間戦闘を重視するの必要を痛感す」(p549)と、伊東中将は砲兵火力を重視して、効果があると思われる夜間戦闘は消極的だったようです。とはいえ、この夜間戦闘も旧陸軍の伝統芸として太平洋戦争で繰り返しますが、米軍相手には通用しませんでした。それはともかく、会社でもありますよね、営業出身の社長が自分の営業手法に絶対的な自信をもっていて、他の営業手法も提案されても、「このやり方ではダメ」と否定、こうした否定が会社を衰退させるのは、よくある話です。というわけで、ゼネラリストはゼネラリストに徹する、こうした態度が必要なのかもしれないですね。

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