10月のはじめと言えば、ノーベル賞ウィーク、今年はノーベル物理学賞に気象学者真鍋さんが選ばれました。50年近く前、コンピューターが普及していなかった状況のなか、計算量が必要な大気モデルを構築したこと、まさにパイオニアだと思います、おめでとうございます。さて、真鍋さんは日本生まれですが、米国国籍、記者会見でなぜ国籍を変更したかという質問に対して、「日本人はいつもお互いのことを気にしていて、調和を重んじる関係性を築いている一方アメリカでは他人の気持ちを考えず、好きな研究に集中できるから国籍を変更したと」いいます。
たしかに、アメリカの場合、調和を重んじるというより、ある道に突き詰めた人をリスペクトするカルチャーはありますね。あと、大学の場合、テニュア(終身在職権)を取得すると、研究費は自身で調達しなくてはいけなかったと記憶してますが、定年とか関係なく好きなだけ在籍することができますよね。日本の場合、定年を越えると名誉教授とかなるのとはちがって、自分の好きなことを生涯通じて取り組める、このあたりは日本よりアメリカの方が分がありそうです。
一方で、調和を重んじる関係性というのはデメリットだけではない気もします。たとえば、最近の例では、ワクチン接種、日本では調整が遅れてスタートしたのは春あたりでしたが、お互いのことを気にするカルチャーならではないでしょうか、あっという間に60%を越えて、アメリカよりも接種率は上がっています。あとは、会社でもそうですが、チームプレーは全般的に他人に関係なく、自分の好きなことをしていればよい、というわけにはいかないですよね。というわけで、調和によって新しい価値を生み出せることもあるのかと。
おそらく、これは個人で完結する個人プレーかお互いの調和を重んじる団体プレーかという話と思います。真鍋さんは、団体プレーが窮屈で個人プレーに専念して、そしてその研究の成果がノーベル賞に結び付きました。そして、団体プレーでは、一つの方向に向けてお互いを気にしながら、調和を重んじることがよい結果につながることもあります。で、これはどちらかがよいというのではなく、それぞれの特性なのかもしれないです。自分はもともと個人プレーで団体行動は大嫌いでしたが、30歳過ぎくらいになってからですかね、チームとして一つの目標に目指す、団体プレーが楽しくなってきました。
どういう人が個人プレーに向いていて、どういう人が団体プレーに向いているのか、それは人それぞれで共通の解はない気もしますし、自分のように変わることもあります。ただ、真鍋さんからのレッスンがあるとすれば、日本も個人プレーに対して認める、あるいは、場を提供することがあってもいいのかもしれないと思いました。