もう、だいぶ前の話ですが、かつて大学・大学院でインターネットの研究活動に従事していました。最初に、研究室に配属されたころは、何が研究なのか、全くわからず、五里霧中の日々でした。そのなかで、救われたのが、ある方にアドバイスいただいた「どんなことでも原典を調べるべし、そこから新しい発想が生まれる」と。いわゆる、温故知新ですね。たしかに、たとえば、300年前先人が考えたこと、今、我々が考えたこと、そこまで人類は進化していないので、結局、我々が考えることは300年前とたいして変わらないかもしれません。
ただ、その当時のアドバイスから、どんなときも原典に当たるように心掛けてきました。とくに、その原典の重要性を感じたのが、自分が企業のバックオフィス、いわゆる、総務・経理・財務・法務・経営管理・労務等などの実務を担当したときです。自分にとって、こうした実務一つ一つ、たとえば、経理であれば仕訳伝票を起こす、総務であれば備品を発注する、ホント大したことないかもしれないですが、その一つ一つがとても重要と思っていて、ただ、「何を基準に優先度をつけるべきか?」、プライオリティ付けを迷っていたときがありました。そうしたときに思いだしたのが、「原典にあたるべし」です。
会社にとっての「原典」は、「会社として何をやるべきか?」、いわゆる、ミッション(志=自分ごととして、社員一人一人がやらなければいけないこと)と思います。そして、このミッションというのは、社員一人一人が「何をやらなければいけないか、さらに、何をやるべきでないか?」という判断基準と理解しています。
この何をやるべきで、やるべきでないか、判断基準のたとえは難しいのですが、自分がハラオチしたのは、慶応大学の場合、意思決定をする際「慶応らしいか、どうか?」を判断基準にすると言います。自分の理解では、慶応のミッションは福澤先生の「あらゆることから学んで、勉強して、それを活かす(実学)」という精神に対して、極端ですが、「勉強しなくても何もしなくてもお金儲けできます」というのは、やっぱり「らしくない」ですよね。
さて、話に戻ると、「原典を調べるべし」、会社にとってはミッション、明文化されてないかもしれないですが、「何をやるべきか、やらないべきか?」、これが原典の判断基準であり、そうした判断基準が実務まで落ちている会社は強いと思うのです。ただ、これは会社だけではなく、いろいろな話に通じると思いました、それは後半に続きます。