宮本輝 流転の海

4月 1st, 2019 | Posted by admin in 長橋のつぶやき

宮本輝「流転の海」を読みました。宮本輝は自分にとっての不朽の競馬小説「優駿」ぶりです、優駿も素晴らしかったですが、これも思うところがありましたのでシェア。

 さて、自分にとって本は人との出会い、旅での出会いのような出会い、いわゆる僥倖だと思います。そして、本ではビジネス書、あと、自分も技術書を書くので、この手の本はよく読みますが、出会いという点では小説も大切なものだと思います。そして、たまたま年明けに第1部を読んでから、3か月で第9部完結に至りました。

 正直なところ、感情移入したこともあり、最後は読むのが辛かったです。主人公松阪熊吾が第1部では戦後の混乱のなかで進駐軍相手に口八丁手八丁でビジネスを起こし、そして、第2部では故郷伊予南宇和に戻り、暴れる牛を射抜く。こうした躍動感に溢れる主人公が巻を重ねるごとに、苦境に立たされ、肉体的にも衰え、第9巻では第1部で登場するゴロツキ辻堂忠の伏線回収と思いきやまさかの門前払い、その後、精神病院に入院し、最後を迎える。

 一読者ですらそう思うので、その息子である作者の重圧・葛藤は半端なかったと思います。執筆から完結まで37年という年月はその重圧・葛藤を消化するための時間だったのでしょうね。未完という選択もあったかもしれないですが、よくぞ腹を括って書き終えたと思います、尊敬しかありません、で、これを映像にするのは難しいでしょうね。

 彼は第9部のあとがきでこう指摘します「37年もかけて、7千枚近い原稿用紙を使って、何を書きたかったと問われたら「ひとりひとりの無名の人間のなかの壮大な生老病死の劇」と答えるしかない。」本当にその通りだと思います。でも、そのひとりひとりの劇がリアリティ溢れて、自分もそのひとりひとりの生き様を追体験しているようでした。

「なにがどうなろうと、たいしたことはありゃあせん」彼の口癖が全てを語っていますね、今月は熊吾ロスになりそうです。
 
 

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