福沢諭吉とフロンティア

2月 16th, 2013 | Posted by admin in 独立 | 経営

福沢諭吉とフロンティア

昔から本を読むのが大好きで、今でも、時間をやりくりして、毎日本を読むようにしています。ただ、最近は新刊が若干食傷気味で、もっぱら、青空文庫やブックオフの100円セールが自分の読書ライフの中心です。

そのなかで、とても印象に残ったのが、小泉信吉著「福沢諭吉」。著者自身も、慶應義塾塾長を長らく務め、かの旧海軍元帥山本五十六を”慶應びいき”にさせたのも、彼の影響が少なくないという。尤も、山本の慶應びいきは、このエントリの主役福沢諭吉による著書”学問のすすめ”の一節”天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず”に深く共感していたようだ。

もちろん、福沢自身の「福翁自伝」も一級の著書として素晴らしいものだ、だけど、この本は、客観的に福沢がどのように生きて、何を考えたのかがわかるおススメの一冊です。

福沢諭吉の人生の転機があるとすれば、それは、幕末時の西洋修行だと思う。長崎でオランダ語を学んだ彼は、江戸に住み、当時、開港したばかりの横浜でオランダ語を使おうとするが、そこは完全に英語で、まったく、オランダ語が通用せず、失望する。そして、当時、英語を教えてくれる場所もほとんどない。でも、オランダ語と英語は良く似ていて、彼は独学で英語を学ぶ、それによって、「福沢の眼界は、頓に広く開かれた」(p18)。そして、咸臨丸での渡米、欧州視察を経て、彼は、西洋の第一人者となったと。明治以後の彼の活躍は言うまでもないけど、その活躍は、彼の西洋修行なしでは語れない。

幕末ならいざ知らず、グローバル化が進んだ現在では、西洋は未開でも何でもない。でも、彼が生きた150年後の今でも、未開な場所(フロンティア)はたくさんある。たとえば、かつてブログに書いた富士通の日本初のコンピュータ。IBMの独断場であったコンピュータを天才技術者池田敏雄を中心とした富士通のチームが日本初のコンピュータを開発し、それが世界を席巻した。現在いうには、ちょっと古いけど、これもフロンティア開拓の一つだろう。

 福沢は、「素より智よりも徳も共に大切であることを承知してい居るけれども、特に強く説いたのは智の進歩であった」(p100)。自分はこの智の進歩を”未開を開拓する”と理解しました、そして、これからも新たな”未開を開拓”する、これが福沢のスピリットであり、これを受け継がなくてはいけないと思うわけでした。

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