時間を長く感じる方法

3月 20th, 2024 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (時間を長く感じる方法 はコメントを受け付けていません)

 先日投稿されたWebメディアGIGAZINEの記事「年齢を重ねても時間の経過を長く感じさせる方法」(*)について、思うところがありました。年齢を重ねると時間の経過が短くなる、これは実感としてもあり、小学校の1年にくらべると、ここ最近の1年、あっという間に、短く感じます。これは、自分に限ったことでなく、「年を取ると、若かったときに比べて時間があっという間に過ぎる」とは、19世紀の哲学者ポール・ジャネの主張は、「ジャネの法則」として知られているようです。

https://gigazine.net/news/20240229-why-time-seems-to-pass-faster-as-we-age/

で、なぜ、年を取ると、若かったときに比べて時間があっという間に過ぎるのか?自分の理解では、これまで生きてきた時間の割合が違うからと理解していました。たとえば、10歳と60歳の場合、分子は1日かもしれないですが、分母は10歳と60歳でだいぶ違うので、その分、10歳の1日1日が濃くて、長くて、60歳の1日は薄く、短く感じる、すなわち、年齢分母説というのでしょうか、年をとれば、誰もがそういう定めになるのではないかと。

が、この記事によると、これは年齢の関係というよりは、脳の構造にあるようです。というのは、効率的な記憶装置として進化した脳は、「新しいこと」、「驚くべきこと」については、強く反応して記憶する一方、繰り返す事柄については差分だけを保存するようになっているという主張です。なので、日々が新鮮な驚きに満ちあふれている子ども時代は、それだけ多くのことが記憶されますが、年を取って通勤や日々の仕事のようにパターン化した行動を取るようになると、日々が予測可能な内容で終始し、記憶される時間そのものが減少して、1日が短く感じられるようになると。

これは実感として納得できるのではないでしょうか。やはり、日々が新鮮な驚きに満ち溢れている子ども時代は時間の経過を長く感じて、一方、毎日会社にいくだけ、ルーチンワークの日々だとやはり驚き、刺激は少ないのではないでしょうか。一方で、この説は、最初の年齢分母説を良い意味で否定できますよね。というのは、60歳だろうが、80歳だろうが、どんなに年をとっても、新しい刺激、驚きに満ち溢れていれば、時間は長く感じると、たとえば、「いきなり海外の大学でサンスクリット語を学ぶ」、これは全く予想もつかない出来事なので、否が応でも、それは濃くて長い時間を感じざるをえないですね。
 
とはいえ、「いきなり海外の大学でサンスクリット語を学ぶ」というのは、あまり現実的ではないと思いますが、日々のルーチンを見直すというのは現実的かもしれないですね。ルーチンの時間を減らして、新しいことに挑戦する、こうしたちょっととした取り組みがルーチンの「自動運転モード」から抜け出すきっかけになるかもしれないです。3月もそろそろ終わりで、そろそろ4月の新年度スタート、これを機に新しい刺激、驚きを求めて、1日を長く感じたいと思いました。

おそめさんから学ぶこと

3月 3rd, 2024 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (おそめさんから学ぶこと はコメントを受け付けていません)

 「伝説の銀座マダム おそめ」を読みました。自分の中でも良書は、いろいろな読み方ができると思っていて、自分は、この本をビジネス書として読みました。タイトルの伝説の銀座マダムとうくらいで、時代は主に昭和30年代(1950年代)なので、今から70年近く前の話で、だいぶ昔の話です。

主人公である、おそめさん、こと上羽秀さんは、もともと京都で人気舞妓として名をはせ、戦後、京都の高瀬川の水路がかかる木屋町仏光寺に自宅を改修した小さなバー「おそめ」を開きます。それは、別に儲けようという動機ではなく、舞妓・カフェでお世話になったお客さんをおもてなしするところからスタートしました。が、それが瞬く間に、京都の文化人のサロンになり、当時の代表的文化人、大佛次郎、川端康成、小津安二郎といった面々が集う場所になります。

そして、東京をベースにして、京都の「おそめ」に通う文化人が、東京でも店をもってみたら、という誘いもあり、昭和30年、銀座三丁目文祥堂の裏に「おそめ」はオープンしました。そして、おそめさんは、週の半分を東京、残りを京都で過ごし、その移動を当時は珍しかった飛行機を利用したことから、「空飛ぶマダム」と呼ばれたそうです。銀座の「おそめ」も繁盛し、最盛期には銀座ナンバーワンまで昇りつめ、川口松太郎の小説「夜の蝶」でもモデルとなり、時の人にもなりました。

で、この「おそめ」の話、ビジネス書という点では、2つのポイントがあると思いました。まず、一つ目は、事業における成功です。おそめさんは、祗園での最初のお披露目のとき、抜群の美貌と天真爛漫な性格から噂になり、舞妓・女給・マダムと立場が変われど、おそめさんに会いたいと思わせる安定した顧客基盤があった、かつ、おそめさん自身もお客さんとお酒を飲むことがホントに楽しかったそうです。だからこそ、銀座への進出も、何か具体的な戦略があったわけではなく、面白そう、ワクワクするという理由から進出して、結果的に成功したのだと思います。

一方で、もう一つは、「おそめ」の衰退です。京都から東京に進出した「おそめ」ですが、昭和30年代後半になると衰退を始めます。おそめさんがこれまでのお客さんを大事にして、そのお客さんがどんどん年をとり世代交代が進んだということもありますが、それ以上に、「おそめ」の拡大路線が衰退に向かう要因になりました。銀座も繁盛したので、店舗を大幅に拡大した銀座8丁目に移転、あわせて、京都でも昭和35年鴨川ぞいの御池通りに320坪のおそめ会館をオープンし、ナイトクラブ、ダイニングなど多角経営に乗り出します。おそめさん自身は、おカネ勘定にまったく無頓着で、まわりの取り巻きによる規模拡大とは言えますが、やはり、規模を拡大した結果、衰退するという結果になります。とはいえ、戦後すぐにダンスホールで知り合った夫俊藤浩滋が徐々に映画プロデューサーとして頭角を現してきたので、おそめさん自身は幸せな人生だったのかもしれません。

というわけで、おそめさんから学べること、それはありきたりではありますが、自分の好きなことを追求すること、ワクワクすること、楽しそうなことにチャレンジすること、あとは、そのなかでもちゃんとおカネを把握することでしょうか笑