さて、最近読んだ本「真珠湾攻撃総隊長の回想 渕田美津雄自叙伝」でいろいろ思うところがありました。著者の渕田美津雄中佐は、太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃での航空隊の総隊長で、当時は海軍上層部から大規模な航空戦の指揮をできるのは彼しかいないという逸材だったそうです。
もちろん、戦争というのは悲惨なものであり、かつ、日本国憲法第9条では戦争を国際紛争の解決する手段として永久に放棄しており、もう繰り返すことはないと信じていますが、一方で、チームワークという点では今の我々にも学ぶことが多そうです。
真珠湾攻撃が計画された1940年初めは航空戦の黎明期であり、複数の空母を使った大規模な作戦はほぼなかったようです。とくに、飛行機の場合、難しいのは3次元&飛行時間が限られていること。車両の場合であれば、「この場所に集合」といえば、だいたい間違いないですが、航空機の場合、複数の空母から、「この場所に集合」だと、3次元の決まった場所の特定から、飛行時間が限られているため効率的に発着艦しなくてはいけないなど高い練度が要求されたそうです。そういうこともあり、真珠湾攻撃以前では、第一航空戦隊は空母赤城のみ、第二航空戦隊は空母蒼龍と航空部隊はバラバラに運用されていました。ただ、彼は早くから航空威力はマス、すなわち、集団で攻撃することに価値があることを見抜いていて、全航空部隊を集中、そして、統合した航空部隊を徹底的にトレーニングしたそうです。
もう80年以上前の話ですが、このあたりのトレーニングの話は、昨年公開された映画「トップガン マーヴェリック」に近いかもしれないですね。この映画では、ならず者国家の濃縮ウランプラントを破壊すべく、急勾配の山を登り、谷底のプラントを破壊するミッションをこなすべく、日々トレーニングする姿が描かれています。ただ、決定的な違いは、やはり、数でしょうね。「トップガン マーヴェリック」の場合は、たしか、2機×2機の4機でした、真珠湾攻撃の場合は、空母6隻で、2段発進、第一波は189機、第二波は171機、合計、360機の大編隊、当時と今の技術の進歩はあるでしょうが、いずれにしてもチームとしてのまとまりが要求されます。
で、チームワークという観点では、こうした大規模な編隊を一糸乱れように統率し、目的を達成することは、とても難しいことだと思います。たとえば、この作戦のなかで難しかったのが、真珠湾に碇泊している艦船へ魚雷を発射する雷撃だったそうです、真珠湾は水深が12mと比較的浅い海で、当時の魚雷は水深60mを想定していたため、魚雷の改良にくわえて、水面ギリギリまで急降下して雷撃する必要があり、鹿児島県の錦江湾を真珠湾に見立てて何度も何度も訓練を重ねたそうです。
ここまでの練度を上げるのは相当大変とは思いますが、会社あるいは組織でも似た話でもありますよね。航空部隊の場合、いざ作戦開始となったら司令官が一つ一つ指示するヒマはないですね、実際、渕田大佐は一番機で出撃しましたが、そのメインな役割は戦果確認でした。なので、それぞれのメンバーが目標を共有して、自律的に行動せざるをえない、そして、こうした最強のチームを作るためには、優れたリーダー、絶え間ないトレーニング、目標の共有が欠かせなく、優秀な企業にも共通してみられる傾向ではありますね。ただ、これを常に維持するはとても難しいと思います。
維持するという点では、作戦指導部は、真珠湾攻撃が上手くいきすぎたところもあり、慢心が芽生えたのでしょうね。その後、ミッドウェー海戦を契機に百戦錬磨のパイロットもどんどん失われ、敗戦となります。そして、渕田大佐は、理不尽な戦後処理に疲れ、引退するも、キリスト教に改宗し、布教という第二の人生を送ります。 歴史に「タラレバ」はありませんが、学ぶことは多いと思います。それは、強いチームのつくりかた、リーダーが明確なビジョンを掲げて、そのためにトレーニングをして、チームが同じ方向に向かって目標を実現する、これは今でも学ぶ点がありそうです。