先日、ある方と話をして、「アンラーニング」なるものがあるそうで、寡聞にして初めて知りました。アンラーニングは、「学習棄却」と訳すそうです。学習するのが人間たる所以なのに、なぜに学習を棄却するのかと?
当たり前ですが、ラーニングは大事です。義務教育であれば、国語、算数、理科、社会、英語、社会人になっても、語学、プログラミング、会計、マーケティング、などなど、いろいろな学ぶべき分野があり、そうしたラーニングの重要性は言うまでもありません。
ただ、こうした基礎とはやや離れますが、成功体験というのもありますよね。たとえば、営業が、ちょっと工夫した提案がクライアントに採用されて、受注に至ったとか、この成功体験もラーニングの積み重ねでもあります。
一方、こうした成功体験が仇になることもありますよね。一度、上手くいった営業手法も、時代の流れとともに、通用しなくなることはよくあります。だからこそ、アンラーニング、学習棄却、忘れることも大事なのかもしれません。
ちなみに、ディープラーニングは人間の脳の仕組みをマネしたアルゴリズムで、そのなかで、ドロップアウトという手法があります。これは、ざっくり言うと、学習する際、全部を丸暗記して学習するのではなく、一定の割合をドロップアウト、すなわち、落とす(忘れる)機能で、忘れることによって、学習の汎用性が生まれ、ディープラーニングのブレークスルーにもなりました。
じゃあ、どうやって、「アンラーニング」するのか?学習するのはやろうと思えばできますが、学習棄却するのは、やろうと思ってもできませんよね、、汗 まあ、あるとしたら、虚心坦懐というのでしょうか、先入観を持たず、過去の成功体験にとらわれない素直な心かもしれません。松下幸之助翁もこうおっしゃってます「要は逆境であれ、順境であれ、その与えられた境遇に素直に生きることである。謙虚の心を忘れぬことである。」と。
というわけで、話戻って、アンラーニング、たしかに、学習棄却という点では大事な視点かもしれないですが、棄却するも、受け入れるも、自身の心持(マインドセット)なのかもしれないですね。