五木寛之「親鸞」を読んで、なるほどなあ、と思ったこと。
親鸞の師匠の法然は、浄土宗の開祖で、元は当時のエリートが集う比叡山延暦寺でも、その学識はずば抜けており、将来の天台座主を期待されていたという。
その彼が、万巻の経典を通じて、これだ、と発見したのが、阿弥陀仏。阿弥陀仏は、「この世に生きるあわれな者たちを決して見捨てないと誓われた仏」であり、南無阿弥陀仏と唱えることで、救われると。彼は、たくさんの仏の中から、阿弥陀仏を見つけたこと、これを選択(せんちゃく)といい、これが彼の再発見であったと。
これはビジネスに通じるものはあるかもしれない。彼が生きた時代に比べて、今は、とてつもなく、選ぶものが増えている。そして、そのなかで、これだと思うものを選択して、わかりやすく伝える。そういう意味では、南無阿弥陀仏は電話を再発明したスティーブ・ジョブズのiPhoneにも通じることがあるかもしれない。
仏教というと堅苦しいイメージがあるけど、この南無阿弥陀仏でちょっと身近に感じました。