最近、思うこと。「いらない社員」はいない、ということ。
たまに、雑誌などで「いらない社員」の特集を見かけることがある。これにすごく違和感を感じる。
まあ、これは、「いらない社員」から「いる社員」になるべし、みたいな啓蒙的な意味を含めてのキャッチなので、刺激的なタイトルの方が売れるというのはあるのだろう。
でも、マネジメントがウチのこの社員は「いらない」といったら、その会社は終わりだと思う。
たしかに、リストラなど社員を解雇しなくてはいけない場面もでてくるかもしれない、でも、それは「泣いて馬謖を斬る」的な已むに已まれぬ事情によるものであるべきだと思う。
あるいは、入社して数十年間、一つの仕事だけしかやってこなくて、そのビジネスが立ち行かなくなり、配置転換しても全然ダメ、だけど、給料だけは支払う、このケースも「いらない社員」かもしれない。
でも、逆の見方をすれば、その従業員に最適な仕事を提供できないマネジメントの責任ともいえるかもしれない。そして、どうしても社内に最適な仕事を提供できないのであれば、誠意をもって、外に他の仕事を探す手伝いをすべきだと思う。
江戸幕末の儒学者佐藤一斎は、重職心得箇条の第二条で次のように指摘している。
二. 大臣の心得は、先づ諸有司の了簡(りょうけん)を尽くさしめて、是れを公平に裁決する所其の職なるべし。もし有司の了簡より一層能(よ)き了簡有りとも、さして害なき事は、有司の議を用いるにしかず。有司を引き立て、気乗り能(よ)き様に駆使する事、要務にて候。又些少の過失に目つきて、人を容れ用いる事ならねば、取るべき人は一人も無き之れ様になるべし。功を以て過を補はしむる事可也。又堅才と云ふ程のものは無くても、其の藩だけの相応のものは有るべし。人々に択(よ)り嫌いなく、愛憎の私心を去って用ゆべし。自分流儀のものを取り計るは、水へ水をさす類にて、塩梅を調和するに非ず。平生嫌ひな人を能(よ)く用いると云ふ事こそ手際なり。此の工夫あるべし。
訳文
二. 大臣の心得は部下の考えを尽くさせて、これを公平に裁決するところにある。部下を引き立て、気合が乗るように使わねばならぬ。自分に部下のより善い考えがあっても、さして害のない事は部下の意見を用いた方がよい。些少の過失によって人を棄てず、平生嫌いな人間をよく用いてこそ手際である。自分流儀の者ばかり取るなどは、水へ水をさす類で調理にならぬ。出所は、Wiki
これは、現代にも十分通用すると思う、この話では、「部下を引き立て、気合が乗るように使わねばならぬ。」と。気合が乗るようすることで、会社も活性化し、企業もどんどん成長し、企業価値もあがる。でも、マネジメントがこの社員は「いらない社員」と烙印を押したら、押された社員は気合が乗るわけがない。
だから、「いらない社員」はいないと思うのです。