このページによると現在、必要でないモノのトップは「学歴」だそうです。まあ、この手の話は、昔から喧々諤々の議論があるので、「正しい」答えはない気がします。
むしろ、これをきっかけに思いを巡らせることが大事かと思います。かつて、福澤諭吉は、緒方洪庵が主宰する適塾で「赤穂浪士の討ち入りは正義か否か?」で肯定派、否定派に分かれてディベートしたそうで(*)。義士、不義士、いずれの場合にも「ロジック」があり、そのロジックを突き詰めるのが学問と理解しています。ま、学歴の話もこれに近く、ディベートネタによいかもしれないですね。
(*)出所 青空文庫「福翁自伝」
仮令い議論をすればとて面白い議論のみをして、例えば赤穂義士の問題が出て、義士は果して義士なるか不義士なるかと議論が始まる。スルト私はどちらでも宜しい、義不義、口の先きで自由自在、君が義士と云えば僕は不義士にする、君が不義士と云えば僕は義士にして見せよう、サア来い、幾度来ても苦くないと云て、敵に為り味方に為り、散々論じて勝たり負けたりするのが面白いと云う位な、毒のない議論は毎度大声で遣て居たが、本当に顔を赧らめて如何あっても是非を分って了わなければならぬと云う実の入た議論をしたことは決してない。
さて、学歴の話。自分の理解では、集合でいうところの「十分条件」な気がします。十分条件は、たとえば、果物とリンゴの関係でいえば、果物という大きな集合のなかの一つの要素がリンゴ(十分条件)。で、下図のように、学歴の場合は、おそらく、成功?という大きな集合のなかに、人脈、判断力、性格などの構成要素の一つとして学歴は入っているんじゃないでしょうか。なので、両方を満たす成功=学歴、いわゆる必要十分条件、ではないですよね。
ただ、この成功?があやしく、成功の定義は人によって違いますよね。毎日、ストレスなく満たされた穏やかな生活を成功とするのであれば、別に学歴とかいらないし。逆に、会社で出世することを成功とするのであれば、必要かもしれません。まあ、最近は、良くも悪くも前者が増えているような気がしますね、だから、必要ないモノのトップにあるのかもしれません。