主業に磨きをかける副業

10月 18th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (主業に磨きをかける副業 はコメントを受け付けていません)

 リモートワークと同じように最近の新しい働き方のスタイルとして副業があります。

副業は、「副」という字の通り、会社員のような「主業」にくわえて、主業の空いている時間にネットショップを運営したり、セミナー講師やライティングをしたりと、主業以外で収益を得ることです。

以前は就業規則で副業禁止が明記されている会社が多くなりましたが、最近は副業OKの会社も増えているように思います。

で、自分も以前から副業は単に収益を得るのではなく、「主業」に磨きをかけるものだと思っていました。

そんななかで、志らく師匠のこのインタビュー「ウソばっかりつきやがって」。立川志らくに届く師匠・談志さんの言葉は、我が意を得たりと思いました。志らく師匠は、朝の情報番組のMCを勤めておられますが、番組をやる際、もっと落語の修行をした方がよいのではと言われたそうです。まあ、サラリーマンの主業、副業とは若干違うかもしれないですが、落語という主業は、テレビなどの副業によって、より磨かれると理解しました。

 番組をやる中で「もっと落語の修業を積んだ方がいいんじゃないですか」という声も聞きます。けどね、修業って何?稽古って何?ということなんです。技術の修練だけずーっとやったって、マニアしか聞いてくれないよと。だから、落語だけに専念しなさいというのは、実にとんちんかんなアドバイスなんですよ。

会社でも似てるかもしれないですね。「会社員は会社で仕事することだけを考えればいい」、そういうスタイルであれば副業はいらないですよね。そうじゃなくて、副業によって、主業に磨きをかける、これが副業の意義があると思っています。たとえば、セミナー講師など、人に教えることは、分かりやすく教える必要があるので、それは副業に限らず、主業でも役に立つように思います。セミナー講師だけではなく、こうした主業に磨きをかける副業、もっと当たり前のこととして、受け入れられることを願いたいと思います。

住みにくい家と考える力

9月 22nd, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (住みにくい家と考える力 はコメントを受け付けていません)

 もう2日前の記事ですが、ヤフーの「「お金は社会に還元して死ぬ」――「暴走族」安藤忠雄79歳、規格外の人生」が素晴らしかったのでシェアします。

 自分も経営者インタビューが好きで、これまで幾度とインタビューをしてきましたが、そのなかで、良いインタビューとは、そのインタビューから、自分ごととしていろいろな気づきが得られるインタビューと思っています。とくに、経営者インタビューの場合、「ウチの会社は」みたいな話に終始するケースもそれなりにあるので、素材と味付のバランス、それは料理人に近いかもしれないです。いずれにしてもインタビューアーの「引き出す力」が問われると。

 さてインタビュー、安藤忠雄氏を存分に「引き出して」います。で、たしかに、お金は社会に還元して死ぬも大事かもしれないですが、自分はそれは別の気づきをいただきました。それは、最初の点と次の点がつながったことです。

 最初の点は、「安藤忠雄の家は住み手に覚悟がいる家」という点。たとえば、彼が設計した住吉の長屋、「三軒長屋の真ん中の1軒を切り取り、鉄筋コンクリート造りのコートハウスに置き換えた住宅。住宅中央の中庭には屋根がなく、例えば雨の日、寝室から台所へ移動しようと思ったら傘がいる」という。

 次の点は、彼の将来へのメッセージ。「今の問題は『過保護』です。子ども中心の核家族で、子どもの言いなりじゃないですか。その子が大きくなった時、たくましく育った世界の人たちと対抗できますか。壁を乗り越える心の強さ、知的体力を鍛えなきゃいけない」

最初の点と次の点、この点と点をつなぐ線は、次の世代に「考える力をつけるべし」と理解しました。たしかに、住吉の長屋は住み手に覚悟がいるかもしれません、ただ、そのなかで、設計者のコンセプトを理解して、どうしたら快適に住めるかを「考える」、これは壁を乗り越える心の強さ、知的体力を鍛えると同じと思いました。

 で、自分たちにできること、やはり、「考える力をつける」、「知的体力を鍛える」ことなのかと。住みにくい家を提供する強さが必要なのかもしれないですね。

https://news.yahoo.co.jp/feature/1807 

善玉菌と悪玉菌

9月 6th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (善玉菌と悪玉菌 はコメントを受け付けていません)

 自分は生物とか医学とかそれほど詳しい訳ではないですが、以前、お世話になったコテコテの商社マンの方がことあるごとに腸内細菌について話しておられました。腸内細菌とは、自分たちの腸の中を顕微鏡で覗くと、まるで植物が群生しているように多種多様な細菌が存在していて、それは色とりどりのお花からなるお花畑(フローラ)であることから、腸内フローラとも呼ばれています。

 で、このお花畑では、大きくわけて、3つのタイプが存在しています。まず、体に良い働きをする「善玉菌」、便秘や下痢といった悪い影響を及ぼす「悪玉菌」、そして、どちらにも属さず優勢な方に見方する「日和見菌」です。で、腸内フローラとしては、善玉菌を増やして、「日和見」している日和見菌を増やすことが、健康への一歩のようです。

 くだんの商社マン氏は、この腸内フローラを会社の組織も同じ問題と看破しておられました。というのは、会社の場合、何かしら課題があります、たとえば、営業と開発が連携できてなかったりとか。で、それを放置すると、どんどん会社が弱くなり、競争力を失いがちです。だから、こうした現状の課題を認識し、それを変えようとする、腸内フローラでいえば、善玉菌と言えるかもしれません、ただ、それは結果的に悪い結果につながる可能性もあるので悪玉菌かもしれないです。

 いずれにしても。善玉菌と悪玉菌のせめぎあいのなかで、重要なポイントは、「日和見菌」と言います。商社マン氏は、「どんな組織でも善玉菌と悪玉菌と日和見菌がいる、組織を動かすには日和見菌を見方につけるべし、これが組織を動かすコツだと」と強調しておられました。まあ、感覚的にわかりますよね、善玉菌と悪玉菌どっちが正しいかわからないけど、日和見菌は優勢な方である「勝ち馬」に乗るので、そういう流れを作るべしと。

 さて、この人間のDNAに刻まれた腸内フローラをどう解釈するか。面白いテーマですよね。商社マン氏のように「日和見菌を抑えるべし」というのは組織を動かす上で卓見と思いました。まあ、それもあるとして、自分としては、「日和見菌になりたくない」とも思いました。まあ、勝ち馬に乗るのではなく、善玉菌、悪玉菌、どちらなのか判断できませんが、自分の明確なポリシーは持っていたいと思いました。最近は商社マン氏とは御無沙汰ですが、また、腸内フローラについてお話をお伺いしたいと思いました。

大学の意味は?

8月 23rd, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (大学の意味は? はコメントを受け付けていません)

 自分のこれまでを振り返ってみて、大学・アカデミックにいた期間が多かったです。たしか、社会人デビューが27歳で、それまで大学・大学院・ポスドクをしていました、学部からあわせると大学在籍は10年ちょいですね。今、振り返って、それは自分にとっては素晴らしい時間でした。

 さて、このニュース「Google Has a Plan to Disrupt the College Degree」(グーグルは大学の学位を破壊する計画がある)、いろいろ示唆があるように思いました。英語ですが、ザックリ要約すると、グーグルは、6か月のトレーニングを受けて、合格した人にグーグルキャリア認定を授与、そして、その認定があれば、グーグルでは、4年間の大学に在籍したものと同じとして扱うとのこと。

 まあ、早い話、中学生・高校生でも6か月でこの認定をゲットして、グーグルから認められれば、グーグルとしては大卒相当とみなすようです。となると、義務教育+高校は置いておくとして、大学さらには大学院に通う意味って何だろうと?とくに、昨今のコロナ禍のなか、大学もキャンパスに物理的に通うことなく、オンラインが主流のようで、わざわざ、大学・大学院にいく意味は何だろうと?

 自分の理解では、大学・大学院は価値があると思っています。で、その価値で大事なのは、「裾野」なのではないかと思います。静岡県出身者としては、裾野は、富士山のようなもので、富士山は日本一の高さですが、裾野は静岡県・山梨県と広く渡っています。そして、この裾野の広さは、かつてニュージーランドに旅した際に強く感じました。

 ニュージーランドの人口は500万人ちょっと、日本でいえば東京都(1275万人)の半分くらいです。が、ラグビーになると、ナショナルチームのオールブラックスは100年間を通じた勝率は8割近く、桁ちがいの強さです。この桁ちがいの強さは、「裾野」にあると思ってます。ニュージーランドのどこにいってもラグビー場があって、親がラグビーをやっていて、子供も当たり前のようにラグビーをする、オールブラックスは富士山の頂点ですが、その頂上を目指して全ニュージーランド国民がオールブラックスを目指します。で、そうした山を登る「裾野」のなからキラリと光る選手がオールブラックスに選ばれるという理解です。

 閑話休題、、大学も「裾野」が大事だと思います。大学は、文学、経済、科学、工学などなど、沢山の分野があり、こうした専攻は時代によって変わるかもしれませんが、そのエリアで活躍したい人を増やす、こうした裾野を広げることが大事なのではないでしょうか。自分がやりたいと思う道をとことん追求する、10年かかるかわかりませんが、自分にとっては価値があり、それが今につながっていることは間違いありません。とくに、コロナ禍で、6か月プログラムをうければ就職できるといった短絡的な話も増えるかもしれません、でも、長期的に裾野を増やす、これが大事と思います、自分としても何かしらのサポートできればと思います。

マッテローヨ シンガポール

8月 16th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (マッテローヨ シンガポール はコメントを受け付けていません)

「振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない」とは、かの寺山修司のハイセイコーの歌ですが、それとは裏腹に振り向きたいときもあります。とくに、このコロナ禍、海外にいくことができず、だからこそ、海外に思いをはせることは大事ではないかと思うのです。

 前回はベトナムを紹介しましたが、今回はシンガポールです。自分の理解では、シンガポールを一言で表すと、明るい北朝鮮です、現地の方もそういわれるので、それほど外れてないかと。ベトナムのホーチミンがベトナムをフランス・米国から独立を勝ち得たように、独立を勝ち取った建国の父リークアンユーが良い意味で彼の考え方が残る国だと思います。

 で、この明るい北朝鮮の良い意味は、シンガポールという小さな国を発展するために、人造的、政策面であらゆる努力をすることです。それは、アジアのハブであるシンガポールのチャンギ空港、ここのトランジットは快適そのものです。あるいは、東南アジアの金融の拠点もシンガポール・香港ですよね、その昔、アナリストのとき、海外出張の際は、かならずシンガポール・香港で機関投資家を訪問していました、香港は今後どうなるかわかりませんが。やはり、ヒト、モノ、カネ、こうした場(プラットフォーム)を良い意味で人造的に作り出したのがシンガポールなのではないかと。

 現状のコロナ禍による移動制限で、こうした物理的なプラットフォームは、縮小せざるを得ない気がします。ただ、すべて、Zoomとかオンラインで完結するかといえば、そうでもないかもしれないですよね、同じモノを売るという場合であれば、オンラインと対面、人間の心情として、対面の方が良い場合もあるかと。

 まあ、ヒト、モノ、カネをリアルで集めることがなかなか難しいところもあるでしょうが、それを差し置いても、今後も物理的・論理的にもシンガポールを通らなくてはいけないモノ・コトがたくさんあるように思います。なので、いつの日かまたシンガポールを訪問したいと思います!マッテローヨ!シンガポール!

視点を変えること

8月 13th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (視点を変えること はコメントを受け付けていません)

 もう10年以上前のことです、当時は大学で研究生活をしていましたが、、そこから大きくキャリアを変えて証券会社にアナリストとして就職しました。

 当時は、ITサービス担当として、ネットワーク機器の動向・技術は何となく理解していましたが、そうした動向・技術がどう売上、利益といった財務諸表として反映されるのか、よくわかりませんでした。

 まあ、わからないなりに、自分の勘で売上高、純利益、貸借対照表、キャッシュフロー計算書などの将来の予測モデルを作ったのですが、そのモデルについて、上司をはじめとして、エラク突っ込まれました。たとえば、売上の伸び率よりも粗利の伸び率が高いのはおかしいのではないかなどです。

 当時は無我夢中だったので、ちゃんと正しいことを証明しなくてはと、近視的にとらえて、それをどうやって説明しようか必死でしたが、今思えば、これは「別の視点」なんだなと思いました。で、最近思うのは、「別の視点」です。「別の視点」は、自分の見えない視点を別の視点で教えてもらう、それによって、また違った見方があるのだと。
 
 この「別の視点」で、本当に素晴らしかったのが、「銀河鉄道の父」です。銀河鉄道は、言わずと知れた宮沢賢治です。まあ、自分はいろいろ彼の著作、評伝いろいろふれたのですが、そこからイマイチつかみどころがありませんでした。なぜ、宮沢賢治は童話を書いて、イーハトーブのような世界観を残したのだろうと。

 「銀河鉄道の父」の主人公は、宮沢賢治の父、宮沢政次郎の物語です、彼が父から質屋を継ぎ、岩手花巻で質屋を繁盛させ、満を持して、長男賢治にバトルタッチしようとするも、賢治は全くもって質屋に向いていません。で、父親は葛藤するものの、最後は賢治のやりたいことを応援します。それは、童話を書いて、イーハトーブを我々が受け入れる過程のような気がします。

 閑話休題、「別の視点」、宮沢賢治だけの視点ではわからないこともあります、むしろ、父という「別の視点」からより宮沢賢治が鮮明に浮かび上がりました。まあ、最初の予測モデルも同じですね、「別の視点」を入れることで、鮮明に浮かび上がることがあると。何が「別の視点」かはいろいろ定義はありますが、「別の視点」を受け容れる、これは大事なことと思いました。

ホーおじさんの思いとベトナム

7月 12th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (ホーおじさんの思いとベトナム はコメントを受け付けていません)

さて、最近はコロナ禍もあり、めっきり訪問する機会がありませんが、これまでベトナムのハノイ、ホーチミンに何度か訪問する機会がありました。ベトナムを訪問して、いつも感じるのが、ベトナム人の勤勉さです。それはIntegrity(インテグリティ)というべきでしょうか。ベトナムの誰もが、どんなことにも真面目に真摯に取り組む姿勢が素晴らしくて、悪い思い出がありません。で、どういう背景で、こうした真摯な国民性が醸成されるのか?、とても興味がありました。

 そんな中、「知略の本質 戦史に学ぶ逆転と勝利」が、この疑問に対して良いヒントになりました。この本は、歴史上、圧倒的に不利な状況から逆転をした独ソ戦、バトルオブブリテン、インドシナ戦争、イラク戦争をテーマに扱っていますが、圧倒的に面白かったのが、インドシナ戦争です。

 インドシナ戦争は、一言でいえば、2度にわたるベトナム独立の闘争で、第1次戦争はフランス植民地からの独立戦争、そして、第2次戦争は米国が支援する南ベトナムとの戦争いわゆるベトナム戦争です。いずれもゲリラ戦から正規軍を編成して逆転して、勝利します。

 いずれも、その主役は建国の父ホーチミンです。彼は、青年時代、船で渡ったフランスにおいて自由と独立を接し、当時、植民地支配にあったベトナムにも自由と独立が必要と志を立てます。そして、その目的を果たす道具として共産主義による闘争を掲げ、インドシナ戦争を勝利に導きます。もともとの発想としてはシンガポールの建国の父リークアンユーに近いかもしれないですね。

 で、ホーチミンは、飄々とした風貌、粛清とも汚職とも無縁で気さくな人柄から国民から敬意を表して「ホーおじさん」と呼ばれていたそうです。もちろん、もともとのベトナム国民の勤勉さ、優秀さはあるとは思いますが、やはり、「ホーおじさん」が掲げた独立と自由を守って国を強くする、これが現在のベトナムにも脈々と受け継がれている、と思いました。彼が亡くなって50年、この思いが引き継がれているのはすごいなぁ、とも思います。

コロナ禍で、なかなか海外に出ることはできないのですが、ビジネス・プライベート限らず、またベトナムにいきたいと思いました。現在、どれだけホーおじさんの建国の思いが活きているか、知りたいと思います。

ドリトリビュート

7月 3rd, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (ドリトリビュート はコメントを受け付けていません)

 普段あまりテレビを観ることはないのですが、たまたま、Mステをみる機会があったのですが、それは思わぬ僥倖でした。テーマは、ドリカム(以下、ドリ)トリビュートです。

 昭和生まれの自分にとってドリは青春時代そのもので、平成最初の「笑顔の行方」から「うれしたのし大好き」、「決戦は金曜日」、高校終わりの「LOVE LOVE LOVE」、「何度でも」。吉田美和の詩曲は、同番組で三浦大和が「映像が浮かんでくる」とコメントしていましたが、ホントに俳句のように映像が浮かんでくるんですよね、とくに「Ring Ring Ring」とか。たしか、吉田美和のお祖父さん、歌人だったようで、そうした流れもあるのでしょうか、ドリの詩曲から日本語の素晴らしさが伝わってきます。

 もちろん、ドリは吉田美和によるところが大きいのですが、それ以上に自分は中村正人(敬意を込めてマサ君)をリスペクトしています。ドリ結成から31年、たとえ、マサ君が作った詩曲であっても、吉田美和が即興で作った詩曲を採用する、自分を押さえても吉田美和の才能に惚れ込む吉田美和ファーストのマサ君あってのドリだと思います。あと、結成当時から知る人間にとって、はからずも脱退したニーヒャを今でも仲間としているところもリスペクトしてます。

 で、たしか、2年くらい前の日経で、ミュージシャンの大江千里のインタビューを読みました。彼も、ドリと同じ世代で、最初は恋愛ソングを作っていたけど、年をとって、恋愛の曲は書けなくなってジャズに転向したそうです。まあ、たしかになぁ、と思いました。たぶん、ドリも同じなんだろうと想像します。

 人が年をとるようにドリも年をとるー2011年、ドリカムワンダーランド行きました、それは素晴らしい体験でしたが、一方で、そう思いました。もちろん、誰でも年をとります、でも、今回思ったのは、ドリが強いのはマサ君、吉田美和、そしてそのチームによるチームワークでカバーしているんだろうと思いました。

 これは、会社も似ているかもしれないですよね。会社には、往々にして、吉田美和のようなエースはいます。でも、本当に強い会社は、そうしたエースを少しでも輝かせようとするマサ君のようなサポートメンバーがいるからこそエースが長く輝き続けると思います。まあ、マサ君は吉田美和と一緒に空を飛びました笑 いずれにしても、こうしたチームとしての強さ、マサ君から教えられた気がします、ドリ50周年も楽しみにしています!

ワークフロムホームと刺激

6月 27th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (ワークフロムホームと刺激 はコメントを受け付けていません)

 さて、6月19日に県間移動が解除され、レストラン等も再開、だいぶ日常に戻ってきましたが、家から働く(Work From Home)スタイルが定着しつつある気がします。自分は、もともと、朝9時に出社して、夕方5時の定時で帰宅するというワークスタイルではなく、成果を出すために仕事をするタイプなので、WFHは違和感ないですが、社会がこういう方向になりつつあり、それはそれでよいかなと思います。

 で、最近思うのは、WFHにおける「刺激」です。WHFの場合、当たり前ですが、通勤もなければ、ミーティングのための移動時間もないです。それはそれで、コストも抑えられるし、時間もセーブできるし、良いことだらけですが、「刺激」という点では、どうなんだろう、と。

 たとえば、自分は本を読むのが好きなのですが、最近はAmazonを昔ほど使わなくなりました。というのは、購入した本からいろいろレコメンドされるのですが、わりとジャンル・内容が偏っていて、そこからの「刺激」が少ないと思っています。むしろ、最近はめっきり減りましたが本屋だったり、ブックオフの100円コーナー、ブログの書評だったり、そっちの方が自分の知らない「刺激」があるように思います。

 Amazonの「刺激」のなさとWFHの「刺激」のなさは近いと思っていて、たとえば、通勤・ミーティングの移動の際に街の様子を見る、中吊り広告から世の中で起きていることを知る、あるいは、同僚との他愛のない会話の中から新しいアイデアを見出す、など、WFH\にはリアルの「刺激」が決定的に不足していると思います。

さて、最近の「刺激」の一つで、読んで面白かったのは、桶田毅著「最後の社主 朝日新聞が秘封した「御影の令嬢」へのレクイエム」です。朝日新聞の祖3代目社主村山美知子氏の一生を追ったドキュメンタリーです。朝日新聞のスパイとして創業家に送り込まれた筆者が、創業家ならでは苦悩等を目の当たりにして、ある意味、創業家側に翻意する物語と読みました。「御影の令嬢」の奥にあるドラマは自分にとって「刺激」でした。

閑話休題。経済学者シュンペーターは、イノベーション(革新)の源泉を新結合であると指摘しました。新結合は、自分の理解では、化学反応みたいなもので、何かと何かをつなげることで、新しいものが生まれると。で、その新結合のみなもとは「刺激」なんだと思います。まあ、革新はちょい大げさかもしれないですが、日々のうるおいも「刺激」から生まれると思います。なので、WFHも便利ではありますが、不便利?なリアルな「刺激」も必要なのではと思い、感染拡大に気を付けながらも、リアルな「刺激」も見つけていこうと思いました。

データ分析の進め方及び AI・機械学習導入の指南

6月 13th, 2020 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (データ分析の進め方及び AI・機械学習導入の指南 はコメントを受け付けていません)

セミナー等でお世話になっております情報機構さんの書籍「データ分析の進め方及びAI・機械学習導入の指南」に寄稿させていただきました。

https://johokiko.co.jp/publishing/BC200701.php

第2章1節 学習データの収集について 寄稿させていただきました。

7月から販売、早期割引もあるようです。