帰納と演繹

11月 15th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (帰納と演繹 はコメントを受け付けていません)

 ちょっといい話です。帰納法と演繹法というと、高校の数学であった気がしたけど、もう忘れた、だいたいそんな感じではないでしょうか。ま、帰納法と演繹法、名前自体はそれほど大事ではないと思います。

 むしろ、大事なのはそれぞれの役割で、帰納法は、ボトムアップ、ミクロの目、具体的な様々な事象から一般的な結論にもっていくアプローチです。たとえば、鉄の値段があがる、醤油の値段があがる、パンの値段があがる、こうした具体的な値段があがることから示唆される一般的な結論は物価が上がる(インフレ)、といったところです。

 で、演繹法はその逆で、トップダウン、マクロの目、一般的な結論・仮説をもとに、具体的な事象を敷衍するアプローチです。物価の話でいえば、いまは物価が上がっている(インフレ)、だから、鉄の値段があがる、醤油の値段があがる、パンの値段があがる、というアプローチです。

 で、最近思うのは、ロジカルシンキングというか、何かしらの論拠に基づいてキチンとコミュニケーションができる人は、こうした帰納(ボトムアップ)と演繹(トップダウン)を自在に使いこなしているように思います。空中戦というのでしょうかね、概念的でわかりにくい話であれば、「具体的にはどういうこと?」という問いかけで、演繹(具体化)する。あるいは、具体的な話であれば、「それ、まとめるとどういうこと?」ということで、帰納(一般化)する。具体化と一般化を行き来する、それによってわかりやすさが生まれるのだと思います。

 そういえば、かつてお伺いしたことがあるのですが、建築家も同じアプローチのようですね。こうした家を建てたいといったコンセプト、一般論があって、それを演繹(トップダウン)で具体的な要素・材料に落とし込む。そして、具体的に落とし込みながらも、帰納(ボトムアップ)で、一般的なコンセプトに近づける、この演繹と帰納の行き来がよいモノを生み出すのだと思います。

 さて、帰納(ボトムアップ)と演繹(トップダウン)、ともすれば、どちらかに偏りがちのように思います、「今までは自分はトップダウンアプローチでやってきて、これが正しい」みたいな。それはそれでありなのかもしれないですが、それ以上に帰納(ボトムアップ)と演繹(トップダウン)を行き来すること、これが大事のような気がしました。

知ることと行うこと

10月 26th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (知ることと行うこと はコメントを受け付けていません)

  先日、ある方とお話して、いろいろ気付きがあったので、シェアします。最近の10代、20代、ほとんど新聞を読んでいないと言います。まあ、それはそうですよね。これまでは、ニュース・情報を把握する手段は、新聞・雑誌・ニュースでしたが、いまは、新聞がなくても、ネットで十分です。たとえば、自分もスマートニュースを毎日読んでますが、興味があるニュースが集約されていて、便利ですよね。

 そういう意味で、紙の新聞がこれからどんどん減るのは仕方ないかもしれません。ただ、一歩引いて、大事なのは「知る」とはどういうことか、なのではないかと。まあ、新聞、ネットを問わず、毎日、いろいろなニュースが入ってきます。昨今では、週末の衆議院選挙の動向なんかそうですよね。

 やはり、選挙の場合、発信側の候補者の動機は単純で新聞・ネットを通じて、情報・政策を発信して、我々は、そのニュース・告知を「知り」ます。で、おそらく、大事なのは、単に「知る」ことで終わるのではなくて、そこから「実行」につなげることなのかと。まあ、この選挙でいえば、候補者の言っていることは納得できる、だからこの候補者に投票しよう、といったところでしょうか。あるいは、ネットニュースでダイエット法が紹介されていたから、それを実践する、これもアリですよね。自分が知ったことを実行する、自分が是とする陽明学の「知行合一」でもあります。

 さて、自分が知ったことを実践する、これは知ったことと実践することの「差・ギャップ」があればあるほど、面白い、価値がある、イノベーションなのかと思っています。たとえば、今から160年近く前の幕末・明治、福沢諭吉は咸臨丸に無理矢理ネゴって乗せてもらい米国、渋沢栄一は徳川昭武の随行としてパリに訪問しました。そこで「知った」ことを日本で実践して、近代日本の礎となりました。

 閑話休題、新聞の話。まあ、10代、20代が新聞を読まないこと、それはそれで仕方ないかもしれないです。ただ、むしろ、重要なのは、「知る」ことを「実行」すること、そして、「知る」の裾野が広い方がよいと思います。今の時代、かつての福沢諭吉、渋沢栄一が「知った」未知の世界は少なくなっているかもしれないですが、どんな媒体を問わず、「知った」ことを「実行」する、これが大事なのかなと思いました。

真鍋さんにみる個人プレーと団体プレー

10月 9th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (真鍋さんにみる個人プレーと団体プレー はコメントを受け付けていません)

 10月のはじめと言えば、ノーベル賞ウィーク、今年はノーベル物理学賞に気象学者真鍋さんが選ばれました。50年近く前、コンピューターが普及していなかった状況のなか、計算量が必要な大気モデルを構築したこと、まさにパイオニアだと思います、おめでとうございます。さて、真鍋さんは日本生まれですが、米国国籍、記者会見でなぜ国籍を変更したかという質問に対して、「日本人はいつもお互いのことを気にしていて、調和を重んじる関係性を築いている一方アメリカでは他人の気持ちを考えず、好きな研究に集中できるから国籍を変更したと」いいます。


 たしかに、アメリカの場合、調和を重んじるというより、ある道に突き詰めた人をリスペクトするカルチャーはありますね。あと、大学の場合、テニュア(終身在職権)を取得すると、研究費は自身で調達しなくてはいけなかったと記憶してますが、定年とか関係なく好きなだけ在籍することができますよね。日本の場合、定年を越えると名誉教授とかなるのとはちがって、自分の好きなことを生涯通じて取り組める、このあたりは日本よりアメリカの方が分がありそうです。


  一方で、調和を重んじる関係性というのはデメリットだけではない気もします。たとえば、最近の例では、ワクチン接種、日本では調整が遅れてスタートしたのは春あたりでしたが、お互いのことを気にするカルチャーならではないでしょうか、あっという間に60%を越えて、アメリカよりも接種率は上がっています。あとは、会社でもそうですが、チームプレーは全般的に他人に関係なく、自分の好きなことをしていればよい、というわけにはいかないですよね。というわけで、調和によって新しい価値を生み出せることもあるのかと。


  おそらく、これは個人で完結する個人プレーかお互いの調和を重んじる団体プレーかという話と思います。真鍋さんは、団体プレーが窮屈で個人プレーに専念して、そしてその研究の成果がノーベル賞に結び付きました。そして、団体プレーでは、一つの方向に向けてお互いを気にしながら、調和を重んじることがよい結果につながることもあります。で、これはどちらかがよいというのではなく、それぞれの特性なのかもしれないです。自分はもともと個人プレーで団体行動は大嫌いでしたが、30歳過ぎくらいになってからですかね、チームとして一つの目標に目指す、団体プレーが楽しくなってきました。

  どういう人が個人プレーに向いていて、どういう人が団体プレーに向いているのか、それは人それぞれで共通の解はない気もしますし、自分のように変わることもあります。ただ、真鍋さんからのレッスンがあるとすれば、日本も個人プレーに対して認める、あるいは、場を提供することがあってもいいのかもしれないと思いました。

労働生産性に思う

9月 20th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (労働生産性に思う はコメントを受け付けていません)

 さて、たまに経済の話が面白いので、書いてほしいというリクエストをいただきます。で、今回は、労働生産性の話です。あ、自分は専門家ではないので、自分が理解した範囲で書いてます、なので、誤解もあるかもしれません、くわえて、所属する組織とは一切の関係はありません。


 自分の理解では、世界の経済は、コロナも予断を許さないも、落ち着きつつあるようです。米国をはじめとした中央銀行においても、コロナが猛威を振るった昨年は大規模な金融緩和を実施しましたが、そこから徐々に緩和を縮小して、利上げに向かいつつあります。米国は、年内に金融資産の買取を縮小する、いわゆる、テーパリングが市場の話題にもなっていますね。

 で、日本の場合、もう10年近く、中央銀行である日銀は、金融緩和、すなわち、利率を下げて、マネーの供給量を増やして、結果として、2%の物価上昇(インフレ)を目指してます。ただ、このインフレ目標がなかなか達成できなくて、その先の出口である金融緩和の縮小もめどが立っていない状況です。

 なぜ、インフレ目標が達成できないか?、国としての将来に不安がある、今後少子化が進み経済活動が縮小する、などいろいろあるようですが、日銀では賃金(給料)が上がらないことが大きな要因としています。賃金があがって、消費に回して、物価が上がると。そして、なぜ、賃金が上がらないか?やはり、労働生産性の低い会社が多いのではないかと思います。


 たとえば、前職ではとても苦労したのですが、日本の場合、労働者をクビにすることは難しいです。で、これをどうにかするという議論は必要でしょうが、それはさておき、クビにできない以上、何かしらの形で雇用を維持する必要があり、そのコストが結果として労働生産性さらには賃金が硬直する要因になると。 

この話は、正解があるわけではなくて、難しい話と思いますが、ただ、クビにすることがだけが労働生産性向上の唯一の手段ではない気もします、これは45歳定年も似た話かもしれないです。むしろ、適材適所というか、それぞれの社員の長所を最大化するポジションを提供する、あるいは新しいビジネスを創出して、そこに人材をあてる、これはマネジメントの役割でもありますよね。

 というわけで、マクロでみたら労働生産性が低いのかもしれないですが、ミクロでみたらちゃんとできている会社もあるし、伸びしろのある会社もあります。というわけで、金融緩和の出口はいつかはわかりませんが、会社の体質を強化して、労働生産性を上げて、賃金を上げる、これが礎のような気がします。

ダークホースとチャンス

9月 10th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (ダークホースとチャンス はコメントを受け付けていません)

「Dark Horse 好きなことだけで生きる人が成功する時代」を読みました。表題のダークホースは、競馬でいう穴馬ですね。競馬の場合、事前オッズで1~3倍くらいを本命◎、順当にいけば勝ちます。ダークホース穴馬▲はレースの展開によって番狂わせで勝つ、ですね。ただ、馬主的な観点から言えば、出走するレースは全力を尽くして勝つつもりで、本命も穴も関係ない結果論でもあります。
 

で、この本でいうダークホースは、標準のコースではないはずれたコースです。たとえば、標準コースで、天文学者になるには、大学で天文学を専攻して、博士号をとって、研究者になる、ま、いわゆる、順当なコースです。ダークホースの場合、高校を卒業して、アルバイトをしていて、星に興味をもって、そこから勉強をして、天文学者になったという、本命ではない、亜流、ダークホースの位置づけがあると。


 ま、この手の話は、本人のモチベーションというか志というかやる気次第なところは大きいと思います。たとえば、音楽が本当に好きであれば、その好きなことをするために、どんな境遇だろうが徹底的に努力して、ポジションを勝ち取ると。


 ただ、この「ポジションを勝ち取る」のは、我武者羅に努力するのではなく、自分にあった方法で勝ち取るべしと言います、これは大事な視点ですよね。たとえば、ワインソムリエの最高資格マスター・ソムリエ資格は、単にワインを暗記するのではなく、知識・経験・想像力あらゆる力を発揮しないと合格できない資格といいます。で、この資格に合格するには、単に暗記、時間をかけるのではなく、論文を書くのが得意なのではあれば論文を書く、あるいは、味覚と身体感覚(この赤ワインであれば、舌がピリピリするなど)が鋭いのであれば、これを活かすなど、自分にあったやり方・勉強方法を見つけることが重要だと。


 自分の理解では、全員がダークホース▲になるわけではなく、問題外である無印も存在します、そして、無印が勝つこともあります。ただ、どんなレースでも1位は1頭しかいません。なので、本命◎もあれば、ダークホース▲もあれば、無印もある、この多様性というのでしょうか。誰にでもレースに出走して、勝つチャンスがある、たとえば、江戸時代の封建制度では才能があってもレースに出走できないですね、チャンスを与えること、これが重要だと思いました。

東京パラリンピックにみるレジリエンス

8月 30th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (東京パラリンピックにみるレジリエンス はコメントを受け付けていません)

 

 東京オリパラ2020,オリンピックは、日本人が大活躍でメダルも過去最高、素晴らしかったです。ただ、自分としては、オリンピックも素晴らしかったですが、それ以外にパラリンピックがそれ以上に素晴らしかったです。 

 やはり、オリンピックに比べるとパラリンピックはあまり注目されないのかもしれないのかもしれないですね。自分も、これまでのオリパラでパラリンピックはちゃんと観た記憶があまりないです。ただ、今回の東京オリパラ、ゴールインタイムでもパラリンピックの中継があって、本当にちゃんと観ることができました。

  その中で、今日、8月30日、100m決勝T64は、本当に素晴らしいレースでした。本命は、英国のジョニー・ピーコック選手(写真:右)、これまで2連覇、ただ、1年前太ももを痛め、1年延期が結果としてチャンスになったと。そして、対抗がドイツのヨハネス・フロア選手(写真:左)、幼少時に病気のため両脚が痛くて堪らなくなったため、両脚切断して、両足義足になったと。

 当たり前ですが、誰もがなりたくて障害を持つわけではないです。くわえて、この手の障害は、医療行為で回復できるのではなく、現状を「受け入れる」しかないと思います。そし、その現状を「受け入れて」、そこからベストを尽くす、この回復力というか、レジリエンスですよね。もし仮に自分が同じ立場に置かれたら、嘆くだけで、もう二度とスポーツはしないと思います。この強靭なメンタルに本当に頭が下がる思いです。

 ただ、当事者にとって、障害とかそんなのは関係ないのだと思います、自分のできる範囲のベストを尽くす、某24時間テレビとは違うスタンスかもしれないです。結果として、レース本番、ピーコック選手、フロア選手、同着で3位、素晴らしいレースでしたが、1位ではありませんでした、お二人は悔しいのではないかと思います、だからこそ、次のレースも楽しみにしています。

 今回、コロナでオリパラ中止という話題は何度もありました。もちろん、感染拡大を防ぐための手段は必要だと思いますが、そのなかで、開催したことに敬意を表したいと思います、そして、次のパラリンピックも観たいと思いました。

イギリスのクラシックとロック

8月 25th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (イギリスのクラシックとロック はコメントを受け付けていません)

 旅の思い出、ベトナム、US、シンガポールについで、英国(UK、イギリス)です。たしか、自分が初めて海外に行ったのは、大学受験が終わった1996年、もう四半世紀前ですね、母親といったイギリスです。当時は、飛行機に乗るのも初めての経験で、離陸のときの高揚感は今も忘れません。

 その後、初めて海外に6か月以上、滞在したものもUKです、ドクター終わって、半年、ポスドクとしてケンブリッジ大学コンピュータ研究所でお世話になりました。さらには、アナリスト、IRとして、ロンドン、エジンバラの機関投資家に訪問と、たぶん、自分にとっては、日本の次に滞在歴が多く、馴染みのある第2の故郷かもしれません。

 さて、このイギリス、自分の理解では、クラシックとロックが混ざっている国だと思います。クラシックは、過去のしきたりを守るというのでしょうか、貴族制度もそうですし、景観もありますよね、同じ景観を維持することが、イギリスにとっては大事な指標で、たとえば、アップルストア、ユニクロがオープンする際にも、19世紀の外観をキープしつつ、内装を変える、この保守というかクラシックさがUKの伝統ですね。

 ただ、守るだけでもなく、ロックというか新しい試みを積極的に取り入れるのもイギリスの懐の深さです。かつて太陽の沈まぬ国と言われた大英帝国の矜持でしょうか。古いものを守るのではなく、新しいものを取り入れるのもイギリスの良さと思います。ビートルズもイギリスですしね。ケンブリッジでも、イギリス、ヨーロッパだけではなく、世界各国から留学生が集まっていました。いまでいうダイバーシティでしょうか、保守ながらも多様性を受け入れる「ロックの素地」があるように思います。

 さて、このイギリス、いち早く、コロナとともに生きる、ウィズコロナを選択しました、もしかしたら、この多様性を受け入れる、この「ロックな素地」にあるかもしれないです。もう5年以上、イギリスには行ってませんが、いつかまた第2の故郷に訪問できること楽しみにしています。

 戦後76年目におもう

8月 15th, 2021 | Posted by admin in 日々の思い | 長橋のつぶやき - ( 戦後76年目におもう はコメントを受け付けていません)

 今日は8月15日、終戦記念日、昭和20年8月15日から76年目です、自分が小学生のころは、祖父母をはじめとして戦争経験者がそこそこ周りにいて、当時の話を聞く機会がありましたが、最近だと、だいぶ減ってきましたね。

 で、昨日、NHKのドキュメンタリー「銃後の女性たち 戦争にのめり込んだ“普通の人々”」を見て、思うところがありました。戦時中のドラマでたびたび登場する「国防婦人会」、それは当時、女性の活躍が少なかった時代、女性が社会に参加したい、お国の役に立ちたい、そんな思いから活動が広まったといいます。参加者にとっては、お国の役に立ちたいという純粋な思いだったのではないでしょうか。

 さて、レベルは変わりますが、何かの役に立ちたい、というのは今でもありますよね。たとえば、会社のために役に立ちたいとか、最近はだいぶ減りましたが、モーレツサラリーマンが、すべてを犠牲にして、会社にひたすら奉公する、これはやや似ている構図のような気もします。

 自分の理解では、モーレツサラリーマンがダメなわけではないと思います、仕事が大好きなモーレツサラリーマンがいるからこそ、会社の繁栄があるわけですし。むしろ、大事なのは多様性、ダイバーシティなのかと。仕事が好きな人は仕事をすればいいし、家庭とのライフワークバランスが大事であれば、それを認めると。一つの価値観を押し付けるのではなく、多様な価値観を認め、尊重する、これは指導部、会社でいえばマネジメントの役割ではないでしょうか。

 かつての古代ローマ帝国では、占領した地域について、ローマのやり方を押し付けるのではなく、その地域の文化、宗教を大切にしながら、よいところをお互い学んで統治に役立てたといいます。で、会社の買収M&Aでも、システムなどは共通にするものの、買収先のよいところ・システムを学ぶ・取り入れる多様性を認める会社の方が上手くいっているような気もします。

 さて、話を戻って、終戦から76年、これから10年すると、さらに1次体験者は減りますよね、それは仕方ないことです。ただ、学べる教訓があるとすれば、一つの価値観を押し付けるのではなく、多様性のある社会、これは守っていくべきではないでしょうか。

ワクチン接種証明書と任せること

8月 9th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (ワクチン接種証明書と任せること はコメントを受け付けていません)

 さて、日本でもワクチン接種が進み、自分も7月26日にワクチン2回接種しました。そして、接種した日7月26日がワクチン接種証明書の発行スタート日だったので、同時にワクチン接種証明書も申し込んで、到着したのが8月7日、発行にざっくり10営業日かかりました。

 ま、喫緊で海外にいくとか、ワクチン接種証明書が必要になるケースがなさそうなので、実用上、何も問題はないのですが、それにしても10営業日は結構、時間かかるなと思いました。で、なぜ、こんな時間がかかるのか、想像してみました。

 まず、ワクチン接種証明書の書式はシンプルです、名前、生年月日、国籍、パスポート番号、1回目と2回目の接種情報、証明書ID、発行日で、基本は申請書類をチェック、転記すれば、すぐに発行できる内容ではあります。

 で、なぜ時間がかかるのか、自分の想像では、おそらく、豊島区の場合、保健所が発行担当しているので、ただでさえコロナ対策で多忙な保健所が、26日一斉スタートで、大量の申請(豊島区は郵送オンリー)が来たので、結果として、発行までに時間がかかったのではないかと。

 やや話が逸れますが、先日ある方とマネージャーに必要な要素とは何か?みたいな話をして、それは任せて、責任を取ることではないかという話で一致しました。どんなに仕事ができる人も一人ではすべてできない、だから、部下なりメンバーに仕事を任せる、しかし、任せた以上、マネージャーが責任をとると。

 で、ワクチン接種証明書の話に戻ると、発行までの時間を早くするには、やはり、「任せる」ではないでしょうか。外部に任せるのもあるでしょうし、あるいは、機械(デジタル化)に任せるのもありですよね。最近だと、マイナンバーカードがあれば、コンビニで住民票と印鑑証明書もゲットできます。ワクチン接種証明書がコンビニでゲットできるまでは、だいぶ時間がかかるんでしょうが、やはり、任せると責任の話ではないかと。最後に、ワクチン接種証明書、いまのところ、あまり出番がなさそうですが、はやく国内・海外で活用できることを願ってます。

二兎を追う力

7月 5th, 2021 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (二兎を追う力 はコメントを受け付けていません)

 大谷選手がMLBのオールスターで先発投手部門、そして、指名打者部門の2つで選出されたというニュースをみました。これはメジャー史上初という快挙でスゴいことだと思います。自分は野球についてそれほど詳しくはないのですが、指名打者でもホームランで結果を出し、投手でも結果を出す、両方とも結果を出そうと血の滲むような努力をしているのだと想像します。

 一方で、「二兎を追う者は一兎をも得ず」という諺もありますよね、欲張って2頭のウサギを狙うものは、結局、中途半端になってしまって、1頭のウサギも獲ることができないと。野球に例えれば、投手としてのキャリア、指名打者としてのキャリア、両方、欲張って狙うと結局、中途半端になると、まあ、いまの大谷選手はいい意味で二兎を追っているように思います。

 さて、ビジネス、とくにテクノロジー分野の場合、二兎を追うケースはありますよね。まず、最初のウサギは、新規分野の開拓、斬新な製品・サービス、いわゆる、破壊的イノベーションです。そして、二匹目のウサギは、既存分野の既存分野のシェア・売上拡大、持続的イノベーションでしょうか。どの会社も、新規に新しい製品・サービスを出しながら、既存の製品・サービスも伸ばしたい、二兎を追う宿命にあるのかもしれません。

 こうした二兎を追いながら、大谷選手のようにキチンと結果を出す企業もあれば、結局新規はダメで既存に頼る、中途半端になる企業もありますよね。前者だと、「両利きの経営」(Doing Both)のシスコ、あるいは、アマゾン、グーグルあたりでしょうか。で、自分の理解では、二兎を追いながら結果を出す企業と中途半端になる企業、その差は「意思」さらには「執念」にあるのではないかと思います。

かつて、松下幸之助翁は、外部の諸事情がどう変わろうと耐えられるダムのように設備、資金、人材に余裕を持たせるといういわゆるダム経営が重要であると講演しました。そして、中手企業経営者が「どうやってダム経営ができるか?教えてほしい」、という質問に対して、「ダムをつくろうと強く思わんといかんですなぁ。願い念じることが大事ですわ」と答え、ほとんどの経営者が失笑するなかで、その場にいた京セラ創業者稲盛和夫氏は「強く願うことで思いがかなう」と衝撃を受けたそうです。これも「意思」ですよね。

 大谷選手の二刀流、両利き経営、自分の思いはもっと二兎を追っていいのではないかと思います。副業なんかもそうですよね。会社員は一つの仕事を集中すべしというのも一つの考え方でしょうが、「意思」をもって、二刀流、両利きを追う、副業もそうあってもよいと思います。というわけで、大谷選手のオールスターの二刀流、楽しみにしています!