アライアンスを組む

6月 21st, 2014 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (アライアンスを組む はコメントを受け付けていません)

先日のこと。

基本、自分は、料理をつくるのが好きなので、食材を調達しようと、近くのスーパーにいったらコストコフェアなるものをやっていました。

要は、スーパーの一画でコストコのバカでかいカークランドブランドのジュース等を売るフェアなんですが、これはこれでアリだなと思いました。

ウチの近辺(高田馬場)は、イオン・ヨーカドーは離れているけど、最近はコンビニが増えてきて、スーパーに行かなければいけない理由は減ってきている。かといって、コストコに行くのも遠いし、会員になるのもめんどくさいし。

というわけで、コストコフェアということで、全部じゃないけど、あのコストコの製品をゲットできるなら、そのスーパーにちょっと行ってみよう、という気になる。

結局のところ、これってアライアンス(業務提携)なんだと思う。

かつて、三国志のころは、強大な魏の国に対して、呉と蜀がアライアンスを組んで、一緒に戦ったように、強い相手がいるからこそ、いろいろ工夫して、そして、自分でできないものはパートナーと組んで価値を上げて、対抗する。

というわけで、”ライバルに押されて、売上が落ちている”という場合、アライアンスを組んで、違うものを組み合わせてみる、これは有効だと思うのです。

良いめんどくさいと悪いめんどくさい

6月 18th, 2014 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (良いめんどくさいと悪いめんどくさい はコメントを受け付けていません)

最近おもうこと。

自分はかなりのめんどくさがり屋だけど、このめんどくさいには良い面と悪い面があると思う。

良い面は、めんどくさい、をバネに仕組みを作ること。

たしか、その昔、ドラゴン桜という漫画で、めんどくさいから工夫するみたいな話があって、なるほどなあと思いました。

そして、会社の場合でも、めんどくさいことがいっぱいある。

たとえば、経営管理の場合、会社がどんな状態にあるのか把握しなくてはいけないため、決算資料、営業実績、取締役会資料などなどたくさんの資料を作らないといけない。

正直、こういうのをつくるのは、めんどくさい。だから、どうやって省力化して、何もしなくても、アウトプットができるようにするか考えて工夫する。

たとえば、いままで、自分が工夫したのは、Excelのマクロを作って決算資料から取締役会資料に変換する、会計ソフトの機能を使って予実管理をする、などなど。

この場合は、”めんどくさい”が、発明の母とでも言うべきか、いろいろと工夫をして、効率が上がるきっかけになると思う。という意味で、これは”良いめんどくさい”だと思う。

一方で、思うのは、”悪いめんどくさい”もあること。

極端かもしれないけど、引きこもりは、悪いめんどくさい、だと思う。

めんどくさいから、外にでたくない、めんどくさいから仕事したくない、めんどくさいから人に会いたくない、と。

自分もめんどくさがり屋なので、こういう引きこもり衝動に駆られることがよくある。

でも、これは良くないと思う。外に出て、仕事をして、人に会うからこそ、価値は生まれる、と思う。

こう考えると、悪いめんどくさいは、そこで思考停止してしまうことだと思う。めんどくさい、だからやらないと。

外に出たくなかったら、内でもできるし、仕事をしたくなかったら、不動産・株式投資みたいな投資を生業にすれば、24時間仕事をしなくても生きてはいけるし、人に会いたくなければ、会わなくても済む方法を考える。

と考えると、大事なのは、止まってはいけないこと、やはり、工夫をして走り続ける、ずっと走るのは大変だけど、走るからこそ新しい発見があるのかもしれない、と思うのでした。

林原家 同族経営への警鐘

6月 13th, 2014 | Posted by admin in 経営 | 長橋のつぶやき - (林原家 同族経営への警鐘 はコメントを受け付けていません)

先週、読んだ本で、印象に残りました。

先日、倒産のことを勉強する機会があり、事業再生ADRと会社更生法は違うという話があって、いまいち、整理できなかったけど、これを読んで、その違いをとてもクリアに理解できました。
かい
林原という大企業がなぜ会社更生法を適用するに至ったのか、当事者の視点で事細かに語られています。

そして、自分の理解では、同族経営への警鐘という点では、やっぱり、ガバナンスだと思う

自分の会社を財布と思って、いくらでも、お金を引き出せると錯覚してしまう、その感覚が破たんにつながった。たぶん、家事ので溶かした大王製紙の元会長と話は似ていると思う。

で、どうやって、ガバナンスを確保するか。やっぱり、現状をきちんと理解することがまず必要だと思う、彼は1日3時間しか会社に出社せず、経理などはすべて弟に任せ、カネが欲しいときだけ、弟に要求したという、これは健全ではないよね。

で、彼は、会計監査人を置いていれば、こんなことにならなかったのにと語っているけど、例の上場している大王製紙でもこんな事態があったので、万能ではない気もする。むしろ、私利私欲を捨てる、ということかなあと。やっぱり、私利私欲がなければ、会社から個人的にカネを借りることはしない。むしろ、会社にとって何をすべきかを考える。これは難しいけど、この難しいことを普通にやる人がやはり偉大なんだなあと思いました。

予定調和を壊す

6月 1st, 2014 | Posted by admin in 経営 | 長橋のつぶやき - (予定調和を壊す はコメントを受け付けていません)

先日、飲み会の席でなるほどなあ、と思ったこと。

以前、たしか、秋元康氏が”一番よくないのは予定調和、それを壊すのが自分の役目”というようなことを指摘していて、その時は、正直あまりピンとこなかった。

で、その飲み会で、こういうことだったのか、と腑に落ちた。

話によると、現在のF1レースは、かつての、セナ・プロストがいた時代にくらべて”予定調和”らしい。

技術が発達して、ドライバーがいくら頑張っても、技術にアドバンテージがあるチームが勝つ。すなわち、”予定調和”であると。

だから、彼曰く、”最近のF1はつまらない”と。

たしかに、スポーツの世界では、予定調和はつまらない。

たとえば、相撲では、横綱は自身のプライドにかけて負けることが許されない。でも、ときには、予定調和を乱して、平幕の力士が横綱をうっちゃり、金星を挙げることもある。

あるいは、競馬では、先週のオークスでは、ハープスターが確実に勝つといわれながらも、あまり注目されていなかったヌーヴォレコルトが優勝したのは、”予定調和”を壊す良い例だと思う。

そして、思ったのは、この予定調和は企業の組織にも当てはまるかもしれない。

大企業もしくは官庁の場合、最近は少なくなったけど、学歴とか成績順で出世コースを決めるケースがある。

そして、その出世コースのなかで、よほどの失敗をしないかぎり、”予定調和”的にそのポストに辿り着ける。

もともと、旧海軍・陸軍士官学校では、卒業時の成績で出世コースが決まっていたこともあり、その風習が残っているのかもしれない。

ただし、この”予定調和”のよくないところは、やっぱり、組織が硬直してしまうこと。相撲の例であれば、予定調和であれば、平幕力士は永遠に横綱に勝てない。

だからこそ、予定調和を壊すこと、これは組織を活性化する上でとても重要だし、その予定調和を壊すことが経営者のリーダーシップとも言えるかもしれない。組織が上手く動かないと思ったら、予定調和を壊す、これが組織を活性化する一つの取り組みですね。

脳に汗をかくこと

5月 23rd, 2014 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (脳に汗をかくこと はコメントを受け付けていません)

最近、新規ビジネスプランを書いたりして思うこと。

こうやったら新規ビジネスは上手くいくというノウハウ本はあるけど、この通りにやっても上手くいかないと思う。

なぜか?

やっぱり、新規ビジネスは考えて、考えて、考えて、考え尽くしたところに、新しいビジネスがあって、”こうすれば上手くいく”というノウハウだけでは、やっぱり、考えが浅くなる。

結局のところ、”これはうまくいきそうだ”と思いつくことはある。これはこれで重要だけど、そういう思いつきはもうすでに大半の人がやっている。だから、新しいことをやるには、その”思いつき”を様々な角度から検討し、本当に上手くいくかを考え、上手くいかない場合はどういうケースかを考え、”これだったら絶対いける”というレベルまで昇華させる、やっぱり、その段階でようやく腑に落ちる。

とくにベンチャー企業の場合、基本は資本力では大企業に勝てない、だからこそ、考えて、知恵を絞って、ひたすら考えて、”これなら間違いない”というレベルまで考える。孫さんは、これを「脳に汗をかくくらい考えるべし」と指摘していて、まさに、その通りだと思う。

と考えると、やっぱり、幼いころから「脳に汗をかく」習慣をつけるというのはとても重要だと思う。それは、ちょっと考えたところで「これでいいや」というのではなく、あらゆる角度から考えて、考えて、考える、こういう習慣ができれば、新規ビジネスに限らず、どんなところにいっても確実に生きる。自分もできているとは思わないけど、やはり、これが必要なんだなと思いました。

誰がデジカメを買う? ジャパネットたかたに見る”売る力” 

5月 10th, 2014 | Posted by admin in 経営 | 長橋のつぶやき - (誰がデジカメを買う? ジャパネットたかたに見る”売る力”  はコメントを受け付けていません)

あまりテレビを見るタイプではないけど、土曜日の朝、たまたまたテレビをつけていたらジャパネットたかたのCMに気づきをもらいました。

そのときの製品は、カシオのデジカメ

この低価格コンパクトデジカメは、スマホの登場で、完全に市場としては縮小傾向。あのキャノンでさえ撤退を発表している。画質もだいたいスマホとデジカメ同じくらいで、かつ、Facebookとの連動などソフトウェアについてはスマホの方が確実に優っている。だから、あえて、コンパクトデジカメを使う必要はないというわけだ。

でも、ジャパネットたかたは、そんな背景とは関係なく、売る。

その売り方は、まずデジカメを活用するシーンをみせる。それは旅での家族の思い出を記録におさめる、そのためにデジカメが必須だと。

そして、高田社長が”今、買わないと損”とまくしたてるw

最後に、9980円という価格を訴求する。

たぶん、売れると思う。

”今更、コンパクトデジカメなんて誰が買うの?” ジャパネットたかたは、このテーゼを見事に覆していると思う。

こんなの売れるはずはないとおもっていても、売り方の工夫でいくらでも売れる。

というわけで、”モノが売れない”と嘆いていたら、”売り方を工夫する”、これは重要だと思う。

当たり前といえば、当たり前だけど、ジャパネットたかたからその当たり前を教えてもらった気がします。

もう20年

5月 2nd, 2014 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (もう20年 はコメントを受け付けていません)

 もう20年。

 いまから、20年前の5月1日、自分は高校生で、アイルトン・セナ、ナイジェル・マンセル、アラン・プロスト、リカルド・パトレーゼなど、キラ星のごとく輝くF1の世界に夢中でした。

 そして、20年前の5月1日、たしか、その日は、高校の遠足に行く予定だったけど、天候不良によるキャンセルで、自宅待機だったと思う。朝のニュースで飛び込んできたのが、アイルトン・セナの事故。本当に信じられなくて、人生で初めて喪失感を感じた瞬間です。

 やはり、スターばかりのF1でもセナは別格で、中嶋悟とのロータス・ホンダとのコンビ、鈴鹿グランプリでのプロストとの確執、故国ブラジルでの悲願のGP獲得、もう20年以上前だけど、まるで昨日に彼の思い出が甦ってきます。

 2014年、もう自分はアイルトン・セナよりも3年以上近く長く生きているけど、彼の生きた濃密な時間には到底追いつかない。やはり、20年経っても相変わらず、彼が輝き続けるのも、彼という存在があまりにも濃密で人々に感動を与え続けたからのような気がする。それは、享年30年にして斃れた吉田松陰が今でも人々に志を与え続けているのと同じなのかもしれない。

 彼の事故から20年、20年前の楽しかった思い出を呼び起こしてくれました。そして、あと10年、20年、どれだけ経っても、5月1日に彼を忘れることはないです。

偏差値教育からアインシュタインは生まれない?

5月 2nd, 2014 | Posted by admin in フォン・ノイマンに学ぶ | 長橋のつぶやき - (偏差値教育からアインシュタインは生まれない? はコメントを受け付けていません)

このところ読んだ2冊の本から、いろいろと学ぶことがありました。

ひとつは、カレン・フェラン著「申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。 」、これは、コンサルが会社に入って業績を上げるところが、会社をぐじゃくじゃにしてしまうという話。

もう一つは、大前研一「稼ぐ力」、会社が”突然死”する時代に、どうキャリア形成し、個人の能力を高めるかというテーマ。単に教育にだけではなく、政治・経済・技術まで幅広くカバーしており、さすがな一冊。

前者でとても印象的だったのが、第6章「人材開発プログラム」には絶対参加するな。これは、コンサルが人材開発プログラムを作成し、社員を業績に応じてA,B,Cとランク付けする、これは問題であり、こう指摘する。

社員が将来的にどの程度の能力を発揮するかは未知数なのに、どうやって社員を最初から固定的なランクに分類できるというのだろうか。(p207)

将来の未知数が化けたもっとも良い例が、アイン・シュタイン。彼は20世紀を代表する人物に選ばれながらも、父親からできそこない扱いされ、チューリッヒ工科大学の入試におち、家庭教師もクビになり、散々な人生だったものの、友人の口利きでベルンの特許庁の職員になり、そこでも昇進できず、1905年暇を持て余して書いた論文が「特殊相対性理論」、「光量子仮説」、「ブラウン運動」、「質量とエネルギーの等価性」の4本。これが、一般相対性理論につながった。

これと共通する話が、後者の「この国をダメにした「偏差値」を廃止せよ」の議論。彼は、偏差値をこう指摘する。

日本で導入された偏差値は自分の「分際」「分限」「身のほど」をわきまえさせるためのもの、つまり「あなたの能力は全体からみるとこの程度なんですよ」という指標なのである。そして政府の狙い通り、偏差値によって自分のレベルを上から規定された若者達(1950年以降に生まれた人)の多くは、おのずと自分の”限界”を意識して、それ以上のアンビションや気概をもたなくなってしまったのではないか、か考えざるを得ないのである。
本田技研工業を創業した本田宗一郎さんは、従業員わずか25人の小さな町工場のときに「世界のホンダを目指す」と朝礼でリンゴ箱の上から演説していたという。(p198)

偏差値も前者でいうところも”ランク”と同じだと思う。そして、いったん、ランク付けした瞬間に、「身のほど」をわきまえてしまう。そして、身のほどをわきまえてしまったら、それ以上の気概をもたなくなってしまう。

難しいのは、誰でもアインシュタインになれるわけではないこと。以前、紹介したフォン・ノイマンにしても、何もないところから天才は生まれない、やはり、生まれつきのものもあるだろうし、育った環境(ファン・ノイマンは規則が複雑なラテン語を完璧にマスターしたという)もあるだろう。だから、偏差値教育をやめたところで、次のアイン・シュタインは生まれるとは限らない。

でも、重要なのは、アンビション・気概をもつこと。志を持たないとなにも生まれない。だから、志を育てることが重要だと思う。

後者では、その解決案として、こう指摘している。

とにかく、日本人がかつての蛮勇、アンビション、気概を取り戻して日本が再び元気になるためには、今すぐ偏差値教育をやめるべきだ。そして、北欧のような21世紀型の教育に移行すべきである。先生は「ティーチャー」(教師)ではなく、「ファシリテーター」(能力を引き出す伴走者)「メンター」(助言者)として、集団教育ではなく個人教育的な能力を増やす。(p201)

かつて幕末の吉田松陰は、松下村塾の塾長で”教師”とされているけど、実は”教師”というよりは、孟子を教えに則った”志”を植えつける「ファシリテーター」、「メンター」的な要素が強かったんだろうと自分では思っています。そして、自分も一人でもそうした”志”を育てることができればと、この2冊から思ったのでした。

大資産家になるためのアジア副業マニュアル100万円から実現できる人生改革

5月 1st, 2014 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (大資産家になるためのアジア副業マニュアル100万円から実現できる人生改革 はコメントを受け付けていません)

レビュープラスさんより頂きました、ありがとうございます。

21世紀はアジアの時代といわれて、21世紀ももう10年以上たつ。
やはり、21世紀はアジアの時代だと思う。先日もベトナムのホーチミンにいく機会があったけど、次々と新しい開発がおこなわれていて、いつもいくたびに、アジアの時代を感じます。

そして、この本「大資産家になるためのアジア副業マニュアル100万円から実現できる人生改革」も、アジアで副業からはじめて事業を大きくする方法を取り上げている。

では、どうするか?

本書は、「日本以外に住居を持ち、最高の人生を実現する具体的な方法をお教えする」(p86)というように、アジアに家を持つことで、1.リスク分散、2.節税、3.ワークスタイル(好きなときに好きな場所で仕事ができる)、4.日本に準外国人として入国できることのメリット(例:外人専用のレールパス、ジャパンレールパスの利用)、5.複数の国にわたる事業展開をあげる。

これを実現するために必要なのは、”動くこと”。筆者は、こう指摘する。

「動くことは単なる消費ではなく、電気、利益を生み出す方法である」

それは、自転車のランプが、自転車の動力から電気を生み出し、そこからランプを点灯するように、動くことでエネルギーを生み出すと。

そして、電気をどう生み出すか、筆者は、1.運び屋、2.個人貿易、3.サービス事業初期立ち上げ、4.サービス会社立ち上げ、5.サービス事業世界展開の4つの”発電“ステージを提唱する。

やっぱり、そういう時代なんだと思う。もちろん、日本国内で動いてもエネルギーを生み出すことができるし、それは否定すべきことではない。

でも、それ以上に、アジア、海外をまたにかけて、動いて、電気を生み出すことで、さらなる付加価値を生み出すことができると。

どのように海外に住む場所を得るかといった実践的なポイントからエネルギーを生み出すポイントまで網羅されていて、得るものは多い本でした。

店の器

4月 20th, 2014 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (店の器 はコメントを受け付けていません)

近所に贔屓にしている店があって、先日、いってきました。

 実は、かれこれ1年以上も通っていなくて、行ってみたら、大将がお亡くなりになられたとのこと。前回、訪問時も体調が悪いとお話をされていて、心配していましたが、まさかこうなるとは。そして、その店は、当時のスタッフが切り盛りしているのだけど、仕込み、スタッフの教育など、目に見えてクオリティが落ちていて、ちょっと切ない気持ちになりました。

 先日、企業倒産・再生の話で、”オーナーが引退できず、かつ、時代の流れについていけず、倒産する例は多い”というお話をお伺いして、これもそのケースかもなあと思いました。もっと、準備をして、店をゆずるべきだったんだろうけど、なにせあまりにもその時間が短すぎて、それがクオリティの低下につながっていると思う。そして、資本主義の摂理から言えば、その店も早晩淘汰されてしまうかもしれない。

 ”会社はトップの器以上に大きくならない”とは稲森さんの言葉ですが、この店もこれが当てはまるかもしれない。でも、トップの器は心がけ次第でいくらでも大きくなることができると思う。だから、”味が落ちたからもういかない”、というわけではなく、むしろ、当代が先代にキャッチアップして、かつての勢いを取り戻す、これからも定期的に通って、そんな日を待ちたいと思いました。