石油の「埋蔵量」は誰が決めるのか? エネルギー情報学入門

10月 1st, 2014 | Posted by admin in 日々の思い | 長橋のつぶやき - (石油の「埋蔵量」は誰が決めるのか? エネルギー情報学入門 はコメントを受け付けていません)

石油の「埋蔵量」は誰が決めるのか? エネルギー情報学入門

ビジネスマンとして深く尊敬する岩瀬さんの初のご著書です。

自分の理解では、この本は、おおきくわけて3つの話をしています。

1.エネルギー(本書では、石油、ガスがメイン)はどのように発掘するか?⇒ 石油・ガス賦存の5要素
2.発掘したエネルギーをどのように流通するか? セブンシスターズ手動⇒OPEC手動⇒市場取引に
3.そうして日本に届いたエネルギーをどう活用すべきか?⇒エネルギー政策

1,2については、筆者のこれまでの商社マン人生でベネズエラからテヘランまでありとあらゆる場所に赴いた現場経験が裏打ちされて、リアルにその情景が伝わってきます。

帯には、「エネルギー界の池上彰さん誕生!」とあるけど、この本の面白さは池上彰さんというより、むしろ、「海賊と呼ばれた男」的な面白さだと思う。

つまり、ジャーナリストとしてある事象を冷静に観察するというより、日本の石油業界を背負う当事者、リーダーとして、これまで過ごした生き様がひしひしと伝わってきます。なので、次回はぜひ当事者としての回顧録を読みたいなあ、とも思います。

で、考えさせらたのは、3.エネルギー政策。

第1章のタイトル 日本の輸入ガスはなぜ高いか? で触れられているように、なぜ、日本の輸入ガスは高いか?

その理由としては、筆者は、「日本ではLNGは原油の代替燃料だった。したがって、価格を原油価格にリンクさせたのもこれまた当然だった。」(p30)

すなわち、シェールガスでどんなに天然ガスが安くなっても、日本だけ天然ガスの価格は原油価格にリンクしている。その背景には、「日本の電力会社は、販売電力価格を総括原価方式とよばれる「コスト積み上げ」で算定し、政府に許可を得ることになっている。」(p32)

その「コスト積み上げ」での電力価格を負担しているのは、いうまでもなく、我々日本国民。電力価格を本当に安くしたいのであれば、天然ガスの価格を原油価格にリンクさせなければ安くなる。ただし、その場合、電力会社が想定する“安定供給”ができない可能性があると。

で、どちらをとるか? やっぱり、これまで自分はこんなカラクリがあることは知らなかったし、エネルギーをどうすべきか、その背景をきっちり知ることが最初の一歩だと思う。

最後に、自分はいままで情報分野が長いので、タイトルの“エネルギー情報学”に引っかかってしまいました。

自分の理解では、情報とは、点(ヒト)と線(通信手段、電話、ネットなど)の集合。

そう考えてみると、ある点において、油田が発見され、また、ある点で流通する。そして、ある点ではそのエネルギーを利用する。その点で起きることをどう解釈するか、これはエネルギー情報学とも言えるのかもしれない。

すくなくとも、石油・天然ガスについては、ある点で起きている事象が包括的に理解できるので、そういう意味で“エネルギー情報学”の入門としてはよいと思いました。

ITは人を幸せにするか?

9月 27th, 2014 | Posted by admin in 日々の思い | 長橋のつぶやき - (ITは人を幸せにするか? はコメントを受け付けていません)

先日、とある方とお話する機会があって、大いに考えさせられる機会がありました。

自分は長いこと情報技術(Information Technology)に身を置いてきて、基本的にIT化することはよいことだと思っています。

IT化の最大の恩恵のひとつは、知識のオープン化。

もう10年以上前からだけど、一部の大学では、その大学の教員による授業を包み隠さず公開しています。

Open Course Wareは、その代表例だし、最近では、MOOCもこの流れだと思う。

で、包み隠さず授業を公開してしまったら、大学に行かなくてもいいじゃないか?と思うかもしれなけど、実はそんなことはない。

むしろ、大学側が全く想定していない、かつ、世界中の優秀な学生が、その講義をネットで閲覧して、かつ、オンライン講義を履修して、優秀な成績を収める。

そうした優秀な学生を引っ張ってくれば、大学はますます活性化する。一種のタレント養成機関の一種とも言えるかもしれない。

実際に、モンゴルの高校生がMITのオンライン授業で優秀な成績を収め、最終的にMITに留学するというもあり、やはり、これはIT化の最大の恩恵とも言えると思う。

でも、ITによって、失われる部分もあると思う。

そのなかで、自分が危惧しているのは、人間の思考力の低下。

たとえば、Google。自分は、何度かGoogleによって世界が変わるみたいな、Google礼賛記事、書籍を書いたりしました。

もちろん、テクノロジーという点では、Googleは素晴らしい企業だと思います。

”いろいろなところから引用されているホームページこそがランクの高いホームページ”という単純明快な切り口で検索のビジネスを一変し、さらには、検索連動型広告で、ユーザの気持ち=たとえば、サバ寿司で検索したら、サバ寿司の広告を表示する = ユーザはサバ寿司を食べたいことから検索したので、その広告をクリックする、というイノベーションで、IT業界を席巻したのは、記憶に新しいところです。

ただ、自分が思うのは、ITが便利になればなるほど、人間が判断する余地が少なくなること。

たとえば、今後の技術の進歩の結果として、無人運転が実用化されると目されている、もちろん、自動運転は技術的には素晴らしいことだと思う。

そして、自動運転が当たり前になれば、言うまでもなく、コンピュータが勝手に運転してくれるので、人間が判断する余地が少なくなる、ちょっと、ネガティブな言い方をすれば、人間が判断することなく、コンピュータに任せてしまう。

もちろん、自動運転だからといって、すべてをコンピュータに任せるわけではないけど、やはり、人間が考える余地が減ってしまうと思う。

そう、こうしたコンピュータが考えてくれる”人工知能”はすばらしいことだと思う。でも、人間が人工知能に頼って、考えることをやめてしまったら、たぶん、良いことはない。たとえば、レコメンデーションエンジンで、”この人に投票しましょう”というレコメンドが出て、何も”考えず”に投票してしまって、後の祭りということは十分あると思う。

じゃあ、どうするか?

やっぱり、人工知能の時代だからこそ、”脳に汗をかくくらい”考えなければいけないと思う。ある命題について、考えて、考えて、考えまくる。そのプロセスが人工知能時代にはますます重要になると思う。

そのなかで、一つの指針となるのが、20世紀の科学哲学者カール・ポパーが提唱した”反証可能性”という考え方。

反証可能性とは、ある仮説について、その仮説が誤っている可能性を示すこと。

たとえば、グーグルが提示したレコメンデーションはあくまでも仮説であって、それが100%正しいとは限らない。

そして、その仮説が間違っていたら、それを自分で考えて、判断すべきであり、グーグルがリコメンドしていることは100%正しいとおもねってはいけない。

だからこそ、こうした”反証可能性”を養うこと、批判的精神を養うこと、これを涵養することが、人工知能時代にとても重要だと思うのです。

”ふざけんな”と思った時には

9月 20th, 2014 | Posted by admin in 日々の思い | 経営 | 長橋のつぶやき - (”ふざけんな”と思った時には はコメントを受け付けていません)

Facebookにも投稿したけど、こちらにもシェアです。

D.カーネギーの「人を動かす」には、人を動かすためのエッセンスに限らず、日々の生活で何をどう行動すべきかの指針が満載でとても示唆に富んだ本です。ぜひ、一読をお勧めします。

その中で、なるほど、と思ったのが2つのエピソード。

リンカーンは、南北戦争のころ、ひるむ南軍を袋叩きできるチャンスを逸した将軍の非を詰り、罵倒の手紙を書いたという。でも、その手紙が見つかったのはリンカーンの執務室、つまり、手紙は届いていない。彼は若いころの失敗に懲りて、人を非難することを一切やめたという。

 マーク・トェインはひどい癇癪持ちでちょっと気に入らないことがあると、”おまえ死ね”みたいな相手を罵倒する手紙を書いて、気持ちをスッキリさせたという。でも、その手紙は奥さんが投函せずに保管したため、決して、相手に届いていないという。

 ま、人間誰だって、自分の思い通りにいかないことがあると、”ふざけんな”と思うときはある。でも、それを相手に向かって、ストレートに”ふざけんな”と伝えて、罵倒しても、罵倒される方にしてみたら、良い気分じゃない。むしろ、禍根を残して、罵倒→恨み→復讐、みたいなネガティブスパイラルに陥る可能性もある。明智光秀なんかはその典型的なパターンだよね。そう、だから、”ふざけんな”という思いをストレートに伝えてもロクなことはない。

 で、”ぶざけんな”と思った時は、まず、思いっきり相手を罵倒する手紙・メールを書く、でも、送らない。自分の気持ちはスッキリするし、相手にも迷惑がかからない、これぞ一石二鳥。ちなみに、Gmailの場合は、送信取り消し機能があるので、仮に送ってしまっても、数秒以内なら取り消せます。自分は何度もこれで救われました。

佐藤一斎にみる江戸時代のロジカルシンキング

9月 13th, 2014 | Posted by admin in 日々の思い | 長橋のつぶやき - (佐藤一斎にみる江戸時代のロジカルシンキング はコメントを受け付けていません)

先日、打ち合わせの合間にちょっと時間があったので、ふらっとデパートで開催されている古本市で、佐藤一斎の原書(日本思想体系)があったので、買ってしまいました。

もちろん、自分は原書をスラスラ読みこなせるほど漢学の素養はないので、ちびりちびりと読んでます。

そんな中で、瞠目したのがこの一説。一斎先生が齢80を過ぎて、記した、「言志耋録(てつろく)」のこの一説。

 人は百歳なる能(あた)わず。
 只(た)だ当(まさ)に志、不朽(ふきゅう)に在(あ)るべし。
 志、不朽に在れば、則(すなわ)ち業も不朽なり。
 業、不朽に在れば、則ち名も不朽なり。
 名、不朽に在れば、則ち世々(よよ)子孫(しそん)も亦(また)不朽なり。

とてもロジカルな論旨だと思います。箇条書きすれば、

1.人間は100歳まで生きることはできない
2.100歳まで生きることはできないが、志は永遠に残るものである
3.志が永遠に残るのであれば、事業も永遠に残るものである
4.事業が永遠に残るものであれば、その名も永遠に残るものである
5.名が永遠に残るものであれば、代々、子孫も永遠に残るものである

まるで数式の証明を見ているような、まったく論旨に乱れがない研ぎ澄まされた文章だと思いました。

一斎先生の謦咳に触れることはできませんが、とてもロジカルな方なんだなあと思います。

で、思うこと。ロジカルシンキングは大事だと思う。

もちろん、ロジカルを越えて、エモーション・直観・感性で世の中を見ることもとても大事。

でも、組織として、人をまとめていく場合、ロジックが必要となる局面が多いと思う。

そして、それは現代だけではなくて、江戸時代も同じで、これからも同じだと思うのです。

世界ハイテク企業ウォッチ プライスライン

9月 5th, 2014 | Posted by admin in お知らせ | 長橋のつぶやき - (世界ハイテク企業ウォッチ プライスライン はコメントを受け付けていません)

Screenshot of www.sbbit.jp

連載中の世界ハイテク企業ウオッチにプライスラインの記事を寄稿させていただきました。

【連載】世界ハイテク企業ウォッチ
世界最大の旅行代理店プライスラインとは?買収戦略に学ぶ、変化への対応力
http://www.sbbit.jp/article/cont1/28472

マルチタスクとシングルタスク

8月 30th, 2014 | Posted by admin in 日々の思い | 経営 | 長橋のつぶやき - (マルチタスクとシングルタスク はコメントを受け付けていません)

最近、思うこと。

先日、何かの雑誌で旅館星のやのスタッフは、受付、客室清掃、調理補助など一つの業務だけではなく、マルチタスクをこなしているという話を読んで、なるほど、と思いました。

アジャイル的な考え方もこれに近くて、システム開発だけではなく、テストもやったり、設計もしたりと、ひとりが複数こなすマルチタスクなので、星のやもアジャイル的な組織と言えるかもしれない。

で、こうした一人が複数の業務を担当してまわすのは、清掃係、調理係と”係”に人を張り付けないため、少ない人数でオペレーションが完結し、結果的にコストが減るケースが多い。

じゃあ、どの会社もこうすればいいじゃん、と思うけど、これが結構難しい。やっぱり、組織が大きくなればなるほど、経理は経理、開発は開発とお互い話している言葉も違うし、結果的に縦割りになって、無駄の多いシングルタスクになってしまう。

でも、大企業でもマルチタスクを実現できている会社もあって、それは、社長の”組織を官僚化させない”といったリーダーシップによるものだと思う。前にもどって、おそらく、星のやもそうした危機感があるのだと思う。企業はトップ次第というけど、まさに、この例はそうだなあ、と昨日の帰路の途中思ったことでした。

”待ち伏せ”というビジネスモデル

8月 28th, 2014 | Posted by admin in 経営 | 長橋のつぶやき - (”待ち伏せ”というビジネスモデル はコメントを受け付けていません)

自分が証券会社にいたころ、なるほど、と思ったことです。

機関投資家のビジネスは言うまでもなく、安い価格で株を買って、高い価格で売って、儲ける。

で、どうやって安い株を見つけるか? 

ある投資家いわく、それは”待ち伏せ”であると。

たとえば、東京証券取引所では3000以上の株式が上場されていて、日々、売買されている。

もちろん、トヨタとかソフトバンクといった東証一部で、時価総額が大きい企業は、一日に何百億円と売買されているので、こういったデカい銘柄でリターンを出すのは難しいという。

むしろ、投資家が注目していない会社を1年くらい前から目をつけておいて、ちょっとずつ買う、そして、何かのタイミングで注目されたときに売る。これが”待ち伏せ”です。

それで、この”待ち伏せ”先方、投資だけではなくて、ビジネスにも当てはまると思う。

ビジネスでも、流行を追うことは有効だけど、やはり、流行にはいろいろな会社がそれに飛びつく、だから、結局のところ、資本力がモノを言う世界で、大企業が優位になってしまう。

でも、モノになるかわからない、誰も注目しない分野を”待ち伏せ”する。そして、いつかその分野が注目されることで、果実を得ると。

ネタを仕込んだからといって、すぐヒットするとは限らない。だからこそ、”待ち伏せ”は有効な手段と思うのです。

IBMの息子

8月 26th, 2014 | Posted by admin in 日々の思い | 長橋のつぶやき - (IBMの息子 はコメントを受け付けていません)

自分のささやかな楽しみの一つがブックオフで100円の本を”発掘”することです。

今回の発掘は、IBMの息子 トーマス・J・ワトソン・ジュニア自伝(上下で200円でしたが)。上巻ではハーマン・ホレリスが発明したタブレットマシン(パンチカードを読み書きしてデータを記録するマシン)をアメリカではなくてはならないものにした創業者トーマス・J・ワトソンのマーケティング手法が息子の目から語られていてとても面白いです。

で、彼のポリシーは、”決定がくだされるところに電話しろ!社長に電話をかけろ!”(P119) そして、社長と面会して、社長がマシンに興味がなくても、IBMが編集した雑誌「Think」の定期購読リストに加えて、配布したという。そして、1930年代顧客数は3500社しかなかったのの、発行部数は10万部ちかく、IBMを応援してくれる牧師、議員などあらゆる人に配ったという。

このアプローチ、80年くらいたって、ネット全盛の今でも成立していると思う。その会社に興味がなくても、定期的によくできた雑誌を送付されると、”おぉ”という気になる。おそらく、ネットも同じで、最初はダメでも定期的に連絡することで、いつかビジネスにつながるということだと思いました。

これだけではなく、いろいろ得るものがありました。いまは絶版だけど、再版してもよいなあと思いました。

新卒から一人前を育てるために必要と思う3つのこと

8月 12th, 2014 | Posted by admin in 日々の思い | 経営 | 長橋のつぶやき - (新卒から一人前を育てるために必要と思う3つのこと はコメントを受け付けていません)

たまに、人を育てて欲しいみたいなリクエストをいただくことがあります。

ワークショップみたいな形でディスカッションする、あるいは、一緒に営業するみたいなケースもあります。

ま、自分は、「オレが、オレが、オレが」的に自分が豬突猛進するのではなく、「この人とこれをやったら面白いだろうな」的な控えめな発想をするので、たぶん、この手の仕事はあってるのかもしれない。

最近思うこと、当たり前だけど、一人前を育てるのは難しい。どうしたら、新卒を一人前に育てられるのか? ノウハウというわけではありませんが、自分が日々感じていることを整理してみました。

あきらめない

やっぱり、あきらめない。どんな企業でも、新卒に”即戦力”を求めるけど、これはないモノねだりだと思う。たしかに、新卒だけど、十分な経験もしていて、どんな場所にいっても、一人でできる人は少なからずいる。(ちなみに、自分の経験からすると、こういう人は大学でフィルターするよりも、中高でフィルターしたほうが発見確率が高い気がする。たとえば、開成・麻布みたいな名門中高出身者は、大学はどこであれ、このイケてる確率は高い。おそらく、単なる英語や数学のテクニックを学ぶのではなくて、自分自身で考え方を学ぶみたいなことが徹底されているので、社会に出たときも即戦力に近い状態になるんだろうなあと、ケンブリッジもそんなかんじでした)。

で、そういう人は自分でビジネスやったり、就職偏差値の高いところに行っているケースがほとんど。だから、最初から、この新人できそう、という期待値を上げない方が良いと思う。

で、基本は”使えない”のだけど、でも、使えないからクビ、ではなくて、あきらないことが大事だと思う。あきらめたらそこで終わり。

いろいろやらせてみる

競馬の話で恐縮ですが、競馬には未勝利戦というのがあります。だいたい競走馬は2歳でデビューして、一度でも勝てば(1着入線)次のステージに進むことができる。ただ、1着になるのは、楽ではない。ポテンシャルの高い競走馬(この例でいえば、新卒でなんでもできる君)は、あっさり勝って、春のクラシック路線(皐月賞、桜花賞、ダービー、オークス)に行けるけど、ほとんどは勝てなくて苦労する。でも、タイムリミットがあり3歳の9月までに1勝もできないと、出場できるレースがない(=引退か、地方競馬転籍)。だから、オーナー、調教師、騎手は3歳未勝利馬に対して、距離を変えてみたり、調教を変えてみたり、いろいろ試してみる。

企業の場合は、このタイムリミットはないけど、いろいろやらせてみるのは重要だと思う。たとえば、しゃべるのが苦手だからといってエンジニアとして入っても、誠実な人柄から営業に向いていたり、この仕事しかないと決めるのは早いと思うので、いろいろやってみるのがよいと思う。 

きっちり原因を究明する

何をやるかについて、考えることはとても大事だけど、一度、決めたら、あれこれ口を出さない。自分が、おおらかな環境で育ってきたこともあり、箸の上げ下げまで指導されるのが苦手というのもあるけど、やっぱり、やることなすこと逐一ダメ出しされていては、結局、委縮してしまって何もできない。

むしろ、重要なのは、何が上手くいって、何が上手くいかなかったかをきちっと原因の究明をすること。

その中に本人の誤りがあれば、糺すべきだし、失注とかビジネスに影響を及ぼす場合は、監督者・上司が責任をとるべきだと思う。

旧日本海軍元帥山本五十六は、人を動かすコツについて、『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ』と指摘しましたが、人を育てるのも、まさにこれなんだなあと思うのでした。

パワーポイント思考とワード思考

8月 8th, 2014 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (パワーポイント思考とワード思考 はコメントを受け付けていません)

最近、パワポ資料を作っていて思うこと。

基本、自分はパワーポイントというツールが苦手、というか、上手く使いこなせないと思っている。勝手な苦手意識だけかもしれないけど。

自分の考えるスタイルは、連続的にロジックを積み上げるタイプなので、パワポで次のスライドに移ると、連続したロジックが”分断”されてしまう気がする。

と、考えると、自分の疑問は、なぜ、プレゼンにパワポを使わなくてはいけないのか?

おそらく、伝えたいことの要点をまとめるのが便利なツールだからだと思う。

たとえば、スティーブ・ジョブズのプレゼン。人の心をつかみ、ワクワクさせるプレゼンは、おそらく、ロジックを積み上げた文章では実現できないと思う。

一方で、研究発表やビジネスの意思決定に関わるプレゼンの場合、人をワクワクさせることよりも、きっちりロジックが通っていることの方が重要だと思う。

で、前者がパワポ型思考であれば、後者はワード型思考、そして、後者はパワポでプレゼンしなくともよい気がする。むしろ、パワポを作って安心してしまい、結局、プレゼン内容を理解しないまま進むケースもある。

かつて、ある数学者の方からこんな話をお伺いして、すごく納得した。

「本当に数式の証明を理解したと思ったら、まず、本を閉じて、本当に自分で証明できるかやるべし。」

すなわち、”非連続”なパワポの場合、すらすらとスライドは作れるものの、結局、自分の経験では理解しないまま作ってしまうケースが多い。むしろ、パワポ頼みにせず、自分が理解するまで、”本を閉じる”、紙に書く、など、いろいろやるべきだと思う。

というわけで、自戒をこめた結論。パワポはあくまでもツール。パワポで納得するのではなく、自分で伝えたいもの、理解したことをパワポに落とすべしと。