さて、先日、ある方とお話をして、なるほど、と思うことがありました。自動車を製造する際のコスト計算の方法です。自動車を製造すると一言でいっても、自動車を製造するプロセスはとても複雑で、ボディを構成する鋼材の仕入れから、エンジン、トラスミッションなどの主要コンポーネント、シート、エアコンといった内装パーツ、さらには、センサーといった電子部品、その数は2~3万ともいわれています。
で、こうした2~3万の部品から構成される自動車のコストを把握することはとても大変です。かつ、鋼材や半導体は市況によって値段が変わるので、毎回、同じコストになることはないでしょう。で、そうしたなかで、どうやってコストを把握・計算するかといえば、まず、標準的な車のコストを出すそうです。そして、そこから、車種によってボディ、コンポーネント、内装パーツと変えていくそうです。なので、一つ一つについてコストを計算してはとても手間がかかるので、標準を決めて、そこから調整するというアプローチは理にかなっているように思います。
この車のコスト計算のように標準を決めて、そこからの違いを認識する方法、ふと思いだしたのが、自分のワインの愉しみ方です。ワインもフランス、イタリア、アメリカ、チリ、アルゼンチン、ニュージーランド、オーストラリアなど世界中で生産されています。そして、フランスといっても、ボルドーがあったり、ブルゴーニュがあったり、ローヌがあったりと、車のパーツ同様、すべてのワインを把握することはほぼ無理でしょう。その難しさがワインの愉しみでもあり、逆に取っつきにくいさかもしれません。
で、自分の中での気づきは、こうした車のコスト計算のように標準を決めて、そこから違いを認識する方法、これは言い換えれば何かしらの測定方法である「物差し」がワインにも当てはまるのではないかと思いました。たとえば、自分のなかの、ワインの「物差し」は、ニュージーランドワインです。最後にニュージーランドに訪問したのは、もう10年近く前なので、今はだいぶ変わっているかもしれないですが、自分の中でのニュージーランドワインは「おふくろの味」のような心地良さがあります。それは、クセもなく、クリーンですね。この写真のMATUAもまさにニュージーランドという感じで、クリーンでクセのないソーヴィニヨンブランです。値段も2000円以下が多くて、お手軽に楽しめます。
自分の場合、このニュージーランドワインが車でいう標準車です。赤ワインだと、ちょっと繊細だとブルゴーニュで、太陽の光を浴びて力強くて、果実味が強いとカリフォルニアワインあたりでしょうか。標準からどう離れているか、これを意識するようになって、ワインへの愉しみが増したような気がします。日本酒もこういうかんじで判断する方も多いみたいですね。
さて、この車のコスト計算の話、ニュージーランドワインの話、ふと思ったのは、こうした「物差し」を提供するのは付加価値になるのではないかと。車のコスト計算は、すべての部品を集めてコスト計算したらとんでもない手間がかかります、なので、標準車という「物差し」でほかを比較する。ニュージーランドワインであれば、味覚は人それぞれなので、ニュージーランドワインが合うかどうかは、その人の価値観でしかないですが、少なくとも自分にとってワインを愉しむ上で付加価値になっているように思います。古代ギリシャの哲学者プロタゴラスは、「人間は万物の尺度である」と指摘しましたニュージーランドワインに限らず、いろいろな物差し・尺度があり、この尺度は付加価値でもあり、愉しみでもありそうです。
