プログラミング科目を必須にすべき3つの理由

4月 7th, 2013 | Posted by admin in テクノロジー | プログラミングを考える | 経営 - (プログラミング科目を必須にすべき3つの理由 はコメントを受け付けていません)

プログラミングを高校・大学の必須科目にすべきという話があるけど、自分はこれにもろ手を挙げて賛成です。

もちろん、高校・大学でちょっとプログラミングを勉強したところで、すぐに企業に入って役に立つというわけでもないけど、次の3つの理由からとても大事と思います。

必須にすべき理由その1:目に見えないシステムを理解する

 システムを作る作業は基本的には建築現場の土木工事に似ている。まず、どんな建物ができるかきちんと設計し、予算を割り当てて、リソース(自社ですべてできる場合は少ないので、場合によっては外注)を確保して、スケジュール通りに仕上げる。ただし、土木工事と違う点は、土木工事は目の前の建物が建っているのはわかるのに対して、システムの場合は、目に見えないこと。そして、目に見えないから、”こんなシステムすぐできるだろう”のように無茶をいう経営者もそれなりにいる。もちろん、あえてシステムを知らないことで自由な発想を生み出すことができるのも事実だけど、目に見えないシステムをプログラミングを通じて理解するのはとても重要だと思う。

必須にすべき理由その2:プログラミングの裾野を広げる

 高校・大学でプログラミングをやったからといって、全員がシステム会社に就職するわけでない。たとえば、自分は大学時代、慶応湘南藤沢キャンパスで6年間過ごして、最初の1年は情報処理のクラスでプログラミング(C言語)が全員必須だった。そして、SFC生全員がシステム会社に入ったかというと、もちろん、そんなことなく、銀行にいったり、公務員になったり、商社にいったり、プログラミングと全く縁遠い業界に入った卒業生も無数にいる。でも、かつて、裾野の広さと500 startupsというエントリで書いたように、ニュージーランドのラグビーのようにプログラミングの裾野を広げることは、次の新しいベンチャー、産業を生みだす点で大切。

必須にすべき理由その3:問題切り分け力をつける

 当たり前だけど、コンピュータは人間が指示したことしか実行しない。そして、プログラミングは、やや抽象的な言い方だけど、”コンピュータに指示する手続き”ともいえる。そして、コンピュータにプログラミングによって”指示”しても、自分の思い通りに行かないことが多々ある、いわゆる、”バグ”だ。それで、どうやって、バグを見つけて、正しい動作にするか、それが”問題切り分け力”だと思う。不具合の原因をあらゆる可能性から検討して、問題解決のあたりをつけて、そして、修正する。自分も最近コンサル案件でプログラミングの手伝いをすることがあるけど、結局、プログラミングとは、問題切り分け作業の連続だと思う。そして、言うまでもなく、この問題切り分け力は、プログラミングだけではなくて、営業、製造、管理、経営などあらゆる場面に応用が効く力で、こうした力はプログラミングによって涵養される要素が大きいと思う。

最後に

 これまでシステムエンジニアの採用を経験したことがあって、そこからわかったこと。それはシステムエンジニアには2つのタイプがある。一つは、あるプログラミング言語に特化して、それを極めるタイプ、今だと、Javaのフレームワークなどそれなりに需要があるので、特化タイプもマーケットはある。一方で、プログラミング言は、言語体系は違えど、考え方(制御構造、データの持ち方、アルゴリズムなど)は同じなので、あるプログラミング言語をマスターして、それを別のプログラミング言語に応用できるタイプ。企業とくに小さい企業では、後者の方が柔軟性があるので、こっちの方がニーズがある。そして、プログラミング科目必須になって、後者のような柔軟に応用ができるタイプがたくさん育てば、これほど日本全体にとってプラスなことはないと思う。

ソーシャルメディアストラテジストはいらない?

4月 6th, 2013 | Posted by admin in イノベーション | テクノロジー | 経営 - (ソーシャルメディアストラテジストはいらない? はコメントを受け付けていません)

ソーシャルメディアで売り上げを伸ばす?

自分の職分は、ある企業の企業価値を高めるために、その企業の売上を伸ばす、もしくは、コストを削減して、利益を増やすことをお手伝いすることです。そのなかで、どうやって売り上げを増やすか、ということで、やはり、最近、よく話題にでるのが、ソーシャルメディア。ソーシャルメディアを活用すれば、売上が増えるのでは?という話。これは、半分正しいけど、一方で、Facebook,Twitterを使うだけで、売り上げがあがるほど、世の中甘くないのは事実。

ソーシャルメディアストラテジストとは?

ソーシャルメディアをやれば売り上げがあがる”ソーシャルメディア神話”を真っ向から否定するのが、uber.laのこの記事

タイトルから刺激的で、”Death of the Social Media Strategist”(ソーシャルメディアストラテジストはいらない) 。自分の理解では、ソーシャルメディアストラテジストの職分は、Facebook,Twitterなどのソーシャルメディアにおいて、対象となる企業・個人の価値・プレゼンスをあげる(Facebookでは、いいね!の数を増やす、Twitterではフォロワーを増やすなど)こと。すなわち、いいね!、フォロワーが多ければ多いほど、そのフォロワーからのリーチが増える→企業であれば売上が上がるという、算段ともいえる。

顧客の購入の導線

 ただ、フォロワーが増えることが、売り上げにつながるかというのは、なかなか難しいし、個人的にも、やや疑問を感じている。それを示しているのが、上の図左の”Average Share of Marketing Budget”(平均的なマーケティング予算のシェア)、これは米国のものであり、すぐさま日本に当て嵌まるわけではないけど、企業のマーケティングの予算の多くは、メール、イベント/展示会、ダイレクトメール、一対一の面会、ダイレクトメールなどに費やされていて、ソーシャルメディアの占める割合は第6位の8%。その背景は、右図の、”online services most likely to influence a purchase”(実際の購入に影響を与えたオンラインサービス)として、1番は、企業のECサイト、あるいは、amazon.com、もしくは、日本ではkakaku.comのようなRetail Sites(小売サイト)と指摘する。やっぱり、実際に売っているサイトのレビューなどを見て、購入すると。

枝を見ずして、森をみる

 ここから言えること、やはり、”Death of the Social Media Strategist”はやや言い過ぎかもしれないけど、でも、ソーシャルメディアだけでは、売上は増えない。むしろ、本丸(Retail Sites)にアクセス・購入するためにFacebook・Twitterといったソーシャルメディアが”従”としてあり、ソーシャルメディアという”枝”ではなく、企業全体の戦略”森”を見て判断することが売上につながる、と強く思いました。

  

カレッジに学ぶwin-winの関係

4月 4th, 2013 | Posted by admin in 経営 - (カレッジに学ぶwin-winの関係 はコメントを受け付けていません)

最近強く思うこと、長く続くビジネスはwin-winであること。
win-winは、言うまでもなく、自分と相手、両方がハッピーになる仕組み。
たとえば、ある製品80円で製造して、それを100円で店舗に卸すと製造側は20円儲けがでる。一方、店舗は100円で仕入れて、それを150円で消費者に販売する。そして、消費者がその価格がリーズナブルで購入する、これだと、全員がハッピーになるので、製造者、店舗、消費者がwin-win-winの関係になる。

逆に言えば、製造が1つの製品に150円かかるのに100円で卸す、店舗が150円で仕入れて100円で売る、というのであれば、ビジネスとして成り立たないので、長く続かない。だから、長く続くビジネスとは、必然的にwin-winになるのだと思う。

そんなwin-winの関係で、なるほど、と思ったのが、2005年にイギリスのケンブリッジに留学していたときのこと。

ケンブリッジのカレッジはだいたい5月の終わりから6月に期末試験が終わって、夜通しパーティ May Ball(メイ・ボール)が執り行われて、そのあとは、学部生は一斉に夏休みに入る(そのときは自分はポスドクだったので、もちろん、夏休みはなく、他の大学院生も夏休みでも原則研究所に来ていた)。カレッジの学部生は、すべからくカレッジの寮生活なので、学部生がいなくなると、学部生が多いカレッジはもぬけの殻になる。

そして、そこに登場するのが、日本(中国も結構あったと思う)の大学生夏休み短期留学。学部生が夏休みでいなくなったところを短期留学で埋める。これはwin-win以外の何物でもない。すなわち、カレッジは、ほぼ独立採算制で、夏休みを”もぬけの殻”にしては、機会ロスが生じる。夏休みの機会ロスを埋めたいカレッジと短期留学で英語を学びたい日本・中国の大学生が英語を学ぶ場(そして、一部は大学の単位にもなるはず)とが、まさにお互いハッピーになれるwin-winの関係が成立している、だからこそ、このスキームは長く続くんだと思う。

win-winにこそビジネスの長続きの秘訣がある、カレッジからそんなことを学びました。

Groupon,Pinterest,Foursquareはどこにいった?

4月 1st, 2013 | Posted by admin in イノベーション | テクノロジー | 経営 - (Groupon,Pinterest,Foursquareはどこにいった? はコメントを受け付けていません)

前回取り上げたPheedのように、たくさんのソーシャルメディアサイトがサービスを開始している。そして、もちろん、人間の活動時間は1日24時間と決まっているので、既存のSNSにくわえて、さらに、新しいSNSを利用するとなると時間が足りなくなってしまう。となると、必然的に”最後にログインしてからだいぶ経ってる”ソーシャルメディアが必然的に増えてくる。

Inc.誌の記事 That’s So 2012: Have Pinterest, Foursquare and Groupon Peaked? (Pinterest, Foursquare, Grouponは2012年がピーク?)によれば、この3つのソーシャルメディア(Groupon, Pinterest, Foursquare)が、”最後にログインしてからだいぶ経ってる”モノだと指摘する。

グルーポン(Groupon): 中小企業にとっては使いづらい?

 日本でもポピュラーになったグルーポン。最低クーポン枚数を販売する必要があるため、ネットでそのクーポンを”拡散”する。
グルーポンの問題は何か?やはり、一度きりで終わってしまうこと。とくに、中小の飲食店にとって、一度しか来ない顧客のために、あえてグルーポンへ手数料を払うのはリスクになると。
逆に、日本の場合、”一度きり”を活かした通販系が多いように思うので、活路があるとしたら、”一度きり”を活かす道だと思う。
拙著「スマートフォンビジネスモデル」では、グルーポンの次のビジネスモデルとして、Groupon Rewards(オンラインポイントカード、特定の店舗で、クレジットカード決済するとポイントがたまり、アイテムと交換できる仕組み)を挙げたけど、 “finding merchants willing to discount their products through Groupon will be a challenge.”(グルーポンを通じてディスカウントを提供したいと思う店舗を探すのはチャレンジ)と指摘するように、楽ではなさそうだ。

ピンタレスト(Pinterest): ボードを作って満足?

 ピンタレストは、オンラインキュレーションサービスの走りとして公開されたサービス。ユーザは、気に入った画像や自分で撮影した画像をボードとよばれるスクラップ画面に張り付ける(ピンする)、そして、ピンすることによって、自分ならではのボードを作成し、キュレーション(展示)するサービス。Inc.誌いわく”it was just too easy for users to lose interest. I came, I pinned, I conquered–now what?”(ユーザがすぐに興味を失ってしまう。サイトに入って、ピンして、完成される、それで?)と手厳しい。

フォースクエア: チェックインは当たり前?

フォースクエアは、携帯のGPS機能を使って特定の場所でチェックインする、そして、そのチェックインの数に応じて、メイヤー(市長)であったり、バッジをもらえたり、”位置”を活用したいわゆるジオメディアの先駆け的存在。メイヤー(=ロイヤルカスタマー)には、特別ディスカウントなどのキャンペーンもあるものの、やはり、

These days, however, you can check-in from almost any social media platform, so the big dogs Facebook and Twitter have eclipsed foursquare.
(最近では、どのソーシャルメディアでもチェックインができるようになった、とくに、Facebook、Twitterの大手がチェックインを導入しており、フォースクエアの影が薄くなった)

という指摘が的を射ていると思う。

グルーポン、ピンタレスト、フォースクエアの共通点と模倣困難性

 この3つのSNSが今後ダメになるのか、あるいは、息を吹き返すのか、それはわからない。でも、3つに共通している点は、おそらく、マネしやすい点にあると思う。フォースクエアのチェックインも、ピンタレストのピンも、グルーポンのクーポンも比較的簡単にマネができる。一方で、Facebook、Twitter、あるいは、eBayの決済(paypal)、Googleの検索は、ほぼマネできない。経営学者のジェイB・バーニーは、企業競争優位の一つとして、”模倣困難性”を挙げているけど、マネできないことに企業の優位性があると思う。グルーポン、ピンタレスト、フォースクエアが、さらに磨きをかけて、模倣困難なサービスを打ち出すことを楽しみにしています。

立法補佐機関の制度と機能―各国比較と日本の実証分析

3月 31st, 2013 | Posted by admin in 経営 - (立法補佐機関の制度と機能―各国比較と日本の実証分析 はコメントを受け付けていません)

畏友である著者蒔田純氏よりご献本いただきました。ありがとうございます。

この本、彼の博士論文をまとめたものを出版したそうです。自分を含めて毎年沢山の博士論文が量産されるけど、出版まで至る例はほとんどないと思う、彼の仕事に素直に敬意を表します。ちなみに、やや言い訳がましいですが、理系の博士論文が出版される例は、”この道の権威”が論文博士で博士論文を書かないかぎり少ないと思う、というのは、理系の場合、やっていることは比較的体系化されていない新しい分野なので、必然的に博士論文もそういうテイストになってしまう=本として出版されても読む人はあまりいない。

それはともかくとして、政治については、まったくの素人なのですが、この本を読んで、いろいろ学ぶところがありました。

立法補佐機関とは何か?

まず、このタイトルにもある”立法補佐機関”とは何か?自分が関わっている分野でたとえれば、会社の経営企画部門だと思う。内閣、議員が法律を制定するのと同じように、会社では基本的には社長が企業の意思決定をする。具体的な意思決定は、会社を買収する、人を採用する、業務提携をするなど。自分の知っている会社でも、何から何まですべてカリスマ社長が意思決定をして、あとは、平社員が実務にあたるという文鎮型組織(社長一人がトップで、あと平社員)もある。立法機関でいえば、スーパー議員が一人で法案を調査し、草案を作り、成立されるとも同義かもしれない。

とはいうものの、こんな沢山の業務を一人でできるわけではない。そこで生まれたのが、経営企画部。社長にかわって、中期経営計画策定の下準備、買収・業務定期先の候補先選定、開示業務、各子会社、部門の生産指標(KPI)の管理などを行い、それを社長に提示して、会社の意思決定をおこなう。自分の理解では、おそらく、立法補佐機関も、経営企画と同じで、社長(議員など)の補佐として法律作成を補助する衆議院調査局、参議院調査室、国立国会図書館、衆参法制局、政策担当秘書が立法補佐機関に相当する。

各国によって立法補佐機関はどう違うか?

こうした立法補佐機関たる議会の調査室、図書館、政策秘書は、国によってどう違うのか。それを解き明かすのが本書の最初の目的であり、それは議会内閣制と大統領制とで大きく異なると指摘する。米国のような大統領制は、行政府の長たる大統領は有権者から直接選ばれる一方で、立法府である議会から選任されるわけではない。したがって、大統領制では、行政と立法とが分離する。一方で、議会内閣制の場合、行政府の長たる首相は有権者ではなく議会の信任のもと選ばれるので、行政と立法とが融合しやすい。

とくに、米国ではこの立法と行政の分離が徹底しており、政府は法案を提出することすらできず、議員が法律を提出する仕組みになっている。したがって、議員の主な役割は法案の提出であり、それを補佐する立法補佐機関も日本・イギリス・ドイツなどに比べると質・量ともに圧倒的に充実している。

それで、議会内閣制も一括りにできるものでもなく、本書では議会の性格を”変換型議会”と“アリーナ型議会”の2つに分類する。前者の変換型議会は、社会の諸問題を法律に”変換”することを目的とした議会であり、立法に重きがおかれる。一方で、アリーナ型議会では、立法よりも与野党間の議論に重点におかれて、議論を通じて、論点を明確にする議会を指す。日本は、委員会を中心とする”変換型議会”の色合いが濃いため、立法に関わる補佐機関の役割が必要となり、アリーナ型議会の典型であるイギリスなどに比べると、制度として立法補佐機関が発達していると指摘する。

ただし、日本は立法補佐機関は制度としては発達しているものの、制度と現実運用とにかい離があると指摘する。

日本においては併用されている2つの制度(*1)のうち議員内閣制の影響が強く、結果として国会はアリーナ型に近い運営が為されている。原則公開の委員会、逐次審議ではなく質問形式の委員会審査、多くはない法案修正、政府提出法案と議員提出翻案の成立率の格差(*2)等はこのことを裏付ける運用面の特徴であり、政府提出法案の成立を前提として意思表明と議論を中核的機能とする英国型議会運営が為されていると言える。(p159)

長橋注
*1 委員会と議員内閣制
*2 政府55.9%,議員 23.8%

議会のガバナンスと企業のガバナンス

制度と現実運用にかい離があるというのは、往々にしてよくあること。たとえば、国会が唯一の立法機関であるように、会社において一番重要な意思決定会議は取締役会。とくに、アメリカでは株主から選ばれた取締役が、その会社の業務執行役を監督し、不正など株主の利益を毀損するようであれば、断固として”No”と突き付ける制度になっていて、日本もだいたい同じ仕組みだけど、その制度を完璧に運用している会社は比較的少ないと思う。きちんと運用するか、しないか、もちろん、株主の意向(とくにファンドが大株主の場合、このきちんと運用すべしという意向が強い)もあるけど、結局、マネジメントの意思なんだと思う。

この本、各国の実証分析以外にも、日本での立法補佐機関の動向、とくに、筆者が議員秘書という立場もあり、”現場”からのアプローチが随所に盛り込まれていて、博士論文以上の価値があると思いました。

目次

序章 立法補佐機関をめぐる研究の前提
第1章 立法補佐機関の定義・分類と各国の概要
第2章 立法補佐機関の比較と分析
第3章 立法過程における立法補佐期間の役割
第4章 時系列に見た日本の立法補佐機関の活用程度
第5章 衆議院調査局・参議院調査室・国会図書館調査及び立法考査局の活動実態
第6章 衆院法制局・参議院法制局の活動実態
第7章 政策担当秘書の活動実態
第8章 国会議員からみた日本の立法補佐機関
終章 立法補佐機関のあり方

立法補佐機関の制度と機能―各国比較と日本の実証分析
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信じることと疑うこと

3月 29th, 2013 | Posted by admin in 経営 - (信じることと疑うこと はコメントを受け付けていません)

自分は、アカデミックに身を置いた期間が比較的長いこともあって、信じることと疑うこと、どちらに重きをおくかという点では、“疑う”ことだと思う。

疑うことに重きを置くことは、良いことと悪いこと、いずれもある。良いことは、物事を深く掘り下げることができること。どんなことでも、”why?”と疑う。そして、何度も何度もwhyを繰り返していくと、本当の要因が見えてくる。

これはビジネスでも当てはまる。たとえば、売上高が10%落ちているとすると、なぜ10%落ちているかを疑う。そして、疑って、疑って、疑い続けると、このプロセスによって、どんどん問題を細分化することができるので、本当の解決すべき課題が見えてくる。たとえば、売上比率30%を占めるある部門の製品が他のライバル製品に押されて売上が落ちたなど。すなわち、この疑うアプローチは、分析アプローチともいえるかもしれない。

でも、疑うことは良いことずくめではない。疑って、疑って、疑いまくる、これをエスカレートすると、結局、何でもないものにまで疑ってしまう、いわゆる、“疑心暗鬼”(闇の中に亡霊を疑うこと)と同じだ。だから、どこかの段階で“信じる”ことが必要になると思う。

 この信じることはとても重要。かつて、アナリストをやっていたとき、ある会社は新事業をぶち上げたのだけど、その事業の成長戦略に全くその根拠に説得力がない。社長に聞いても、“がんばります”の一点張り。だから、誰もがその事業の将来性を疑って、駄目だろうと思った。でも、マネジメントは歯を食いしばって、情熱をもって、必死にその新事業を立ち上げ、ついにはぶち上げた数字を達成した。やっぱり、疑ったところで将来のことは何もわからない、だから、信じるしかない。

 ただ、盲目に信じて、何も疑わないのは、これはこれでよくない。かつての太平洋戦争では、“日本は勝つ”と信じて、疑わなかったことも敗因として大きいと思う。そういう意味で、この信じると疑う、一つを選択するのではなく、“疑いながら信じる”、このバランスが必要なんだと、最近思うようになりました。

長州藩に学ぶ”粘る力”とビジネス

3月 24th, 2013 | Posted by admin in イノベーション | 経営 - (長州藩に学ぶ”粘る力”とビジネス はコメントを受け付けていません)

大河ドラマ”八重の桜”を見ていて、思ったことがあった。

今回のシーンは、蛤御門の変、8月18日の政変で京を追われた長州藩が、何とかしてその勢力を巻き返そうと、御所に攻め入る。もちろん、このドラマは、会津藩からのドラマなので、長州藩は、敵以外の何でもない。でも、自分はあえて、敵たる長州藩の”粘る力”に深く感じるところがあった。

 蛤御門の変では、薩摩藩の力添えもあり、結局、長州藩は完敗、松下村塾の逸材である久坂玄瑞も自刃する。くわえて、追い打ちをかけるように、御所を攻撃した朝敵たる長州藩に対して幕府が全国の大名に命じて第1次長州征伐を実施する。軍力では勝負にならない長州藩は降伏し、高杉晋作を中心とした倒幕派は散り散りになる。歴史に”if(もし)”はありえないけど、これで長州の倒幕派が倒幕を諦めてしまったら、もしかしたら、今は違った世の中になったかもしれない。でも、高杉晋作をはじめ長州倒幕派は、決して諦めることなく、そして、遂には、薩長同盟という形で、一気に流れを変えた。

 これはビジネスでも同じだなと思う。ビジネスにおいて、”新しいことをやろう”と言っても、普通は反対されることが多い、むしろ、これは”素晴らしいから是非やるべし”、と最初から全面的に会社からバックアップされて進むパターンは自分が知っている限り稀だし、これで上手くいく例はあまり知らない。むしろ、”こんなの売れるわけがない、時間の無駄だ”と言われて、お蔵入りになるケースの方が多い。でも、長州藩のように、打たれて(8月18日の政変)、打たれて(蛤御門の変)、ノックアウトされて(第1次長州征伐)、でも、粘って信念を貫く。そして、粘った結果、製品の成功、新しいフロンティア、収益につながるんだと思う。まさに、never never never give upです。

では、何が長州藩の”粘る力”を生み出すか?司馬遼太郎は「世に棲む日々」でとても的確な指摘をしている。

分類すれば、革命は3代で成立するのかもしれない。初代は松陰のように思想家として登場し、自分の思想を結晶化しようとし、それに忠実であろうとあまり、自分の人生そのものを喪ってしまう。初代は、多くは刑死する。2代は、晋作のような乱世の雄であろう。刑死することはないにしても、多くは乱刃のなかで逃走し、結局は非業に斃れねばならない。3代目は、伊藤博文、山県有朋が、もっともその形を代表しているであろう。 (「世に棲む日々(4)p97)

吉田松陰が播いた種が、高杉晋作で実を結び、伊藤博文、山県有朋で収穫を迎えると。もちろん、収穫も重要だけど、やっぱり、一番重要なのは、”種をまくこと”だと思う。吉田松陰は、安政の大獄に座して、非業の死を遂げたけれども、その”種”=理念が後々になって結実した。言ってみれば、理念があるからこそ、”粘る力”が生まれたとも言える。自分もいろいろな会社を見ているけど、やはり、”これだけは絶対にやりとげる”という理念を持っている会社は強い。それは、まさに長州藩のように”粘る力”があるからだと思う。”粘る力”を育てる、これが成功の秘訣なのかもしれない。

企業というアーキテクチャ

3月 22nd, 2013 | Posted by admin in テクノロジー | 経営 - (企業というアーキテクチャ はコメントを受け付けていません)

大学のころからITに関わるようになって、もう15年近く経ちます。その経験から、IT≒システムにとって一番重要なのは何かといえば、アーキテクチャ(構造)だと思う。

結局、システムは人間が作るもので、システム自ら何を生みだすことはない。もしかしたら、30年後はコンピュータが進化しすぎて、コンピュータ自身が考えてプログラミングする、いわゆる2045年問題、が現実になるかもしれないけど、少なくとも、これから10年くらいは、人間がシステムを作る状況は変わらないだろう。人間がつくるからには、何かしらの設計思想が必要であり、それがアーキテクチャともいえる。

たとえば、SNSでは、友達間で情報を共有したいという思いがあったとして、その友達と友達をつなぐアーキテクチャを考えて、それをシステムに落とし込む。逆に言えば、アーキテクチャのないシステムは、何も用をなさない。自分が大学生のころ、いろいろプログラミングをして作ったけど、作りっぱなしで、ほとんど使っていないのは、結局、アーキテクチャがないシステムだったと思う。

それで、最近思うのは、企業もこの”アーキテクチャ”という概念がとてもあてはまる。そして、その企業のアーキテクチャは、組織とビジネスモデルにある程度集約できると最近思う。

組織:個人事業と企業が違うのは企業は組織であること。そして、その組織は、誰が株式を所有して、今度誰に所有してもらうのか(資本政策、最初はあまり関係ないけど、会社が大きくなると避けて通れない問題)、どのように意思決定するか(取締役会、これもスタートアップは、オーナー=株主=取締役だけど、これも大きくなると構成が変わらざるを得ない)、そして、従業員、から構成される。

ビジネスモデル:組織はできても、それを適正価格で販売して、そこからキャッシュを得る仕組み、すなわち、ビジネスモデル、がないと企業として立ち行かない(永遠におカネが入ってこなくて、出ていくだけだったら、資本金を食いつぶして、倒産してしまう)。

そして、最近思うのは、良い企業のアーキテクチャとは、シンプル、わかりやすいこと。組織もシンプルで、ビジネスモデルもシンプル。エレベーターが下りているほんのわずかな間に上司にプレゼンをする”エレベータートーク”がプレゼンの基本というように、一言で説明できること。システムも同じで、一言で説明できないシステムはたいてい使われない、それは何ができるかわからないから。シンプルが一番、これがシステム、企業いずれにも共通する良いアーキテクチャなんだと思う。

スペックを書くコツ

3月 20th, 2013 | Posted by admin in テクノロジー | 経営 - (スペックを書くコツ はコメントを受け付けていません)

これまで、ビジネスとしてシステムのスペック(仕様)を書く仕事をしてきて、スペックの書き方にはコツがあるなあと思うようになってきた。

ちなみに、ここでいう、スペックは、システムをつくる上流工程での要件定義・基本設計で、それをもとにシステムを作ったり、あるいは、ベンダーにRFP(Request For Proposal)として提示して、見積もりをお願いしたりする。そして、要件定義・基本設計を大きく外さなければ、それに続く設計・実装もそれほど大きく外れることはない。言ってみれば、建物の設計図に相当するもので、作ってみたら、”柱が足りなかった”、”家が傾いていた”、ということがあってはならない。

それで、どうやってスペックを書くか、一言でいえば、”漏れをなくし、重複をなくす”だと思う。

 これはコンサル用語でいうところ”MECE(Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive)”であり、漏れなく、重複なく、は当たり前のことなんだけど、これが以外と難しい。結局のところ、何が漏れているのか、全体像が見えていないとわからないし、経験を積まないと、失敗するポイントも見えてこない。

 どうやって漏れと重複をなくすか?その一つのアプローチとして、自分がいつも心がけているのが、証券アナリストをしているときに教わった”分解して考えるべし”という考え方だ。たとえば、ある会社の売上高が100億円だったとして、その100億円が、業種別(金融30億円、製造業70億円など)、セグメント別(コンサル10億円、システム開発60億円、物品販売30億円など、そして、この組み合わせによって粗利が決定される)に分解することができる。そして、その分解の粒度(金融であれば、そのうち、銀行、証券、保険など、さらに銀行であれば都市銀行、地方銀行、最終的には個社(MUFJなど)に帰着する)を上げれば上げるほど、その会社の特性、何が伸びて、何が落ち込むのか、おぼろげながらわかってくる。

 これはスペックを書くときも同じで、結局、経営もしくは発注側は、”ECのシステム作りたい”など漠然としたリクエストが多い。その漠然としたコンセプトを漠然としたままでいくと、結局できるものも漠然としてしまう。だからこそ、分解して、分解して、分解する、その過程で、不必要なところを削り、必要なところをさらに深堀りする。これを繰り返すことで、漏れなく、重複なく(MECE)を実現できるケースが多い。もちろん、分解しすぎて、全く当てが外れることもあり、どこを捨てて、どこを深堀りするかの勘所を押さえるのは経験によるものだと思う。

 いってみれば、このMECEは分解した後の結果であり、それ自体は目的じゃないと思う。そして、分解して、分解して、分解する、これが重要なんだと思う。

CIOはいらない?CDO(Chief Digital Officer)の興隆?

3月 17th, 2013 | Posted by admin in テクノロジー | 経営 - (CIOはいらない?CDO(Chief Digital Officer)の興隆? はコメントを受け付けていません)

自分自身もCIO代行のような立場で企業の情報システムのコスト分析・提案をするので、CIO(Chief Information Officer、最高情報管理責任者)はどうあるべきか、については折に触れて考えることがあります。

そして、この記事、結構、大胆にCIOは使い物にならないので、CDO(Chief Digital Offier、金融の人にとって良い思い出がない略語かもしれない)を登用すべきだと主張する。

なぜ、CIOが使いものならないのか。この記事によれば、その理由は2つ。まず一つは、CIOは、Exchange(メールサーバ)、SAP(企業の財務・販売などの基幹システムパッケージ)の知識はあっても、デジタルマーケティング、ビックデータ、ソーシャルネットワーキングなど、経営が”攻め”に活用する知識・経験がない。2つ目として、CIOの役割は、情報システムをちゃんと動かすこと。したがって、何か会社でチャレンジをやろうとして、少しでも情報システムを変更することがあれば、CIOはそのリスクを取りたがらない。すなわち、もし、そのプロジェクトが失敗すると、CIOの評判に傷がつくので、できるだけだけそのリスクを避けるように行動する。とはいうものの、最近の企業活動において,デジタルマーケティング(ネット広告など)は切っても切り離せなくなってきている、だから、IT部門でないところから、CDO(最高デジタル責任者)を登用すべきという主張だ。

自分としては、例外を除いて、だいたいこの主張に同意できる。例外とは、CIOがいなくてはいけない業種。そのわかりやすい例は、銀行を含めた金融。金融が扱っているのは、つまるところ、おカネという情報、なので、すべてのやりとりは情報システム経由で行われる。だからこそ、情報システムは、止まってはいけない。ちょっと前の話では、三菱UFJ銀行元頭取の畔柳氏は、旧三菱銀行と旧東京銀行の情報システム部門統合を総轄し、その経験から、UFJ銀行とのシステム統合もトップダウンで実行したのは、業界ではよく知られている話。こうした情報システムが企業の生死に関わる業界であれば、CIOを取っ払って、CDOにせよ、というのはナンセンスだろう。

だからといって、すべての業界でCIOが必要というわけではない。逆に言えば、金融以外について、CIOががっちり情報システムを守るという会社は、よほどの大企業以外はなくなりつつあると思う。むしろ、”止まらないように情報システムを守る”というCIOアプローチよりは、”リスクを冒してでも、デジタル分野を開拓する”というCDOアプローチの方が、企業価値を上げる手段としては有効だと思う。

今日、明日にCIOがなくなって、CDOにリプレースされるということはない。でも、長い目でみると、”情報システムのおもり”は重要だけど、それだけだと、生み出す価値も限定的だと思う。だからこそ、CDOよりな、デジタルを使ってビジネスを生み出すアプローチが情報システムにとっても重要だと思うわけでした。