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リスキリングとOS

10月 9th, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (リスキリングとOS はコメントを受け付けていません)

 先日、ある方と話していてなかなか面白い話だったのでシェアです。テーマはリスキリングです。政府もリスキリング支援に積極的で5年で1兆円も投資するそうですね。

 さて、このリスキリング、一般的には製造とか事務とかで長年働いてきた社員にDX系のスキルを学んで、スキルアップするという話と理解しています。で、自分の理解では、このリスキリングは、オペレーティングシステム(OS)とアプリの話と思っています。

 OSは、ウィンドウズとかiOSとかアンドロイドとかアプリケーション(ソフト)を動かす基盤ですよね。自分はウィンドウズを使ってますが、ウィンドウズもはるか昔のMS-DOSから始まり、Windows3.1、Windows95、Windows2000、Windows10と進化してきました。その昔は、OSがクラッシュするのは日常茶飯事でしたが、最近はかなり減りましたよね。それはやはり絶え間ないアップデートにあることは言うまでもありません。そして、そのOSの上で、オフィスだったり様々なアプリケーションを利用します。

 で、ザックリいうと、我々もOSみたいなものなのだと思います。それは、子供のころは義務教育で小学校、中学校、高校で学び、就職しても職場で学んだり、松下幸之助翁は、「学ぶ心さえされば、万物すべてこれわが師である」とも仰ってますね、いろいろなこと、いろいろな人からも学び、我々のOSをアップデートしていくのだと思います。我々がOSだとしたら、スキルはアプリのようなものではないでしょうか。

 このOSとアプリと我々とスキルの関係、プログラミング言語がわかりやすいのかもしれません。世の中には、C、Java、Python、PHPなどなど、様々なプログラミング言語があります。で、昔から思うのは、プログラミングができる人は、どの言語でもできるのですよね。「自分はPHPしかできない」というのはあまりなくて、若干の助走期間が必要ではありますが、プログラミングできる人は、だいたい、ほかの言語もすぐにキャッチアップします。OSとアプリの関係でいえば、OSがアップデートされているので、どんなアプリでも利用できると。

 閑話休題、このリスキリングという話、個々人の基礎力というべきでしょうか、このOSをどうアップデートするかにあるのではないでしょうか。そして、それは、読み書きそろばんのような基礎力もあるでしょうが、新しいものを吸収したい、知りたいという本人の意欲にもありそうです。

最強企業はどこで間違ったか?

9月 19th, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (最強企業はどこで間違ったか? はコメントを受け付けていません)

 「GE帝国盛衰史 「最強企業」だった組織はどこで間違えたか」を読みました。タイトル通り、GEの本で、巨大企業の内情をかなり細部にわたって描いている力作です。そして、これはGEに限らず、企業はどこで間違えるか?について大いに示唆を与えてくれると思いました。

まず、この本を読むまでは、自分のなかでのGEの印象は、やはり、「最強企業」です、あらゆる分野に展開し、経営陣を育成するためにクロトンビルと呼ばれる企業研修所で徹底的に鍛えて、そして、トップのCEOは、何年にもかけて選考する、そうした会社が間違えることはしないだろうと。

 では、なぜ、この「最強企業」が間違えたのか?自分なりに解釈すると、まず、CEOの交代で、2001年、カリスマCEOであったジャック・ウェルチからジェフ・イメルトに交代。イメルトがCEOとして適任ではなかったというよりも、GEのCEOは伝統的に取締役会議長も兼任していて、CEOが絶対的な権力を持っていて、反対意見を許さない社風(p334)があったと。実際に、イメルトは、部下からの悪いニュースを聞くのを好まず、自分自身ならびに部下がたてた数値目標も達成できることを当然としたようです。

 もう一つは、コングロマリット、GEの事業は航空エンジン、ガスタービン、ヘルスケア、金融など多岐にわたります。そして、多岐にわたると、その事業で何が起きているのかわかりづらいです。実際、イメルトもCEOに就任した当時、GEキャピタルなどの事業構造がわからなかったそうです。で、わかりづらいならまだしも、各部門では高い利益目標を達成するために、経費の付け替え、他部門への移管などの利益の水増しが「経営のマジック」として認識されていたと。これは東芝と同じケースかもしれないですね。

やはり、コングロマリットで他部門が何をやっているかわからない、かつ、上からの業績のプレッシャーがきついので、自部門で利益を出すために水増しをする。とくに、GEの場合、株価・配当の維持は至上命題であり、現場では良かれと思ったことが、結果的には間違った選択になったのかもしれないです。取締役会の機能不全、コングロマリット、いずれも共通するのは反対意見を許さない社風ではないでしょうか、間違った方向に進んでいても、それを反対、止める動きがやはり必要ですよね。

 実際のところ、GEは倒産したわけではなく、いまでも上場をしていますが、かつての勢いはありません。とはいえ、どんな優位なポジションにあっても、どんな規模が大きくても、企業が崩壊するのはあっという間の気がします。だからこそ、間違えないように、反対意見を受け入れる、これも大事と思いました。

豪商の金融史 廣岡家文書から解き明かす金融イノベーション

9月 11th, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (豪商の金融史 廣岡家文書から解き明かす金融イノベーション はコメントを受け付けていません)

 「豪商の金融史 廣岡家文書から解き明かす金融イノベーション」を読みました。廣岡家といってもピンとこないかもしれないですが、7年前の朝ドラ「あさが来た」のモデルの廣岡家といえば、朝ドラファンであれば、少しはピンとくるのではないでしょうか。自分はあの朝ドラ好きでした。

 で、なぜ、廣岡家なのか、廣岡家の拠点である大阪も太平洋戦争の空襲でかなりの文書が焼かれてしまったそうですが、一部の文書等を奈良に疎開させ、それが廣岡家文書として寄贈されることになり、廣岡家の江戸・明治の商環境の解明が進んできたと、歴史のロマンですよね。

 さて、金融イノベーションという点では、江戸時代では、「コメ」を金融商品として扱ったことがイノベーションと言えそうです。大名は、それぞれの領地から収穫したコメを大阪堂島の蔵屋敷に搬入します。一方で、大名は、参勤交代の費用など「おカネ」も必要なので、「コメ」を「おカネ」に変換するか、17世紀後半から18世紀初めくらいまでは、米切手という1枚につき米10石を交換する証券を発行していましたが、相対取引のため価格決めが恣意的に決まってしまうという点で、米商人が生み出したのが名目(指数)、現物のやり取りをせず、指数だけを売買する世界最初と呼ばれる先物取引がスタートしました。

 廣岡家も江戸時代には米仲買人として米商いを手掛けながら、蔵元として、大名との関係を築き、大名に対して米切手を用いた資金繰りをサポートする大名貸しにも進出します、ただ、大名は平気で借金を踏み倒すこともあったらしく、ほかの商人との合同によるシンジゲートローン、さらには大名の財政状態を把握しながら、必要な融資を実行するなどコンサルっぽいこともしていたようです。

 廣岡家は、江戸時代から現在まで続いていますが、そのなかで、激震が何度かあったようで、まずは明治維新ですね、朝ドラでも新選組が登場するシーンがありましたが、これまでの大名貸しから維新政府との関係構築、加島銀行・大同生命の設立が大きなターニングポイントだったようです。で、次が、昭和恐慌、朝ドラでは、新次郎さんがお亡くなりになったところで終わってしまいましたが、本当の激震は昭和恐慌だったようです。昭和恐慌は、我々の想像もつかないくらいヒドイ状況だったようで、加島銀行も融資先が焦げ付き、破綻、比較的傷が浅かった大同生命が生き残り今にいたると。というわけで、 まあ、事実は小説よりも奇なりというのでしょうか、廣岡家の歴史は朝ドラ以上に波乱に満ちていたようです。

新刊 「Web3とメタバースがよ~くわかる本」

8月 7th, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (新刊 「Web3とメタバースがよ~くわかる本」 はコメントを受け付けていません)

さて、よく本を書くね、とたまに言われますが、今年も新しい本が出版されました、8月10日発売「Web3とメタバースがよ~くわかる本」です、電子書籍も含めると13冊目のようです。これまで取り上げたフィンテック、量子コンピュータ、機械学習、D2Cも苦難の連続でしたが、今回はそれ以上にシンドイ道程でした。

 まず、最初はメタバースを書こうと思っていて、自分の注力分野はビジネスモデルなこともあり、メタバースのビジネスモデルであるヒト、モノ、カネに注目していました。で、このとくにカネの部分、どんな方向性かというと、どこまでいってもロブロックスのRobuxなど独自通貨(クローズ)にならざるを得ないのですよね。そこから、いろいろ探索しているうちに、トークンエコノミーがこの独自通貨の壁を打ち破るブレークスルーと思いました。そして、それがもう一つのタイトルのWeb3であり、タイトル変更、一冊の本に2つのトピックとやや異例の内容です。この変更を呑んで頂いた出版社の皆様ありがとうございました。

 さて、Web3さらにはNFT、いろいろ毀誉褒貶あるようですが、自分は比較的ポジティブにとらえています。なんていうか、25年以上前のインターネット黎明期に似ている気がします、当時は「インターネットとFAX、何が違うんだ?」とか「インターネットに信頼性はない、ISDNの方がよっぽど優れている」とか言われていましたが、今や、ですよね。で、Web3と一括りにいろいろありますが、たとえば、ブロックチェーンのスケーラビリティを拡張するようなセカンドレイヤー・プラズマの技術とか、トークンエコノミーのインフラも着々と整いつつあるように思います。

 以前、本を書くのはマラソンだと書いた記憶がありますが、今回は、メタバースというフルマラソンのゴールの先に、さらに、Web3というフルマラソン以上を追加したウルトラマラソン(100km)を走った気持ちです汗 実際のウルトラマラソンはこれまで2度走りましたが、あまりの過酷さに現在は休止中です笑 走っている最中はもう二度と走りたくないと思っていますが、また、完走後、エントリーしてしまうのが、ランナーの悲しい性でもあります。

「史観」と「藪の中」

8月 4th, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (「史観」と「藪の中」 はコメントを受け付けていません)

 「決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8か月」を読みました。もともと、筆者は、コーポレートガバナンスの本を書く予定で、そのなかで、LIXILのお家騒動を取り上げることで、コーポレートガバナンスとは何かを問うと。

 このお家騒動、2019年に大々的に報道されました、LIXIL合併前のトステムの創業家の潮田氏は、持株比率は3%程度であるものの、業績不振を理由に当時のCEOの瀬戸氏に対して「指名委員会の総意で取締役を辞任してもらう」(p14)と持ちかけます。で、論点は、この辞任が「本人による意思か?潮田氏による不明瞭なプロセスによる強要なのか?」と。当事者の瀬戸氏は、後者として、この不明瞭なプロセスに憤りを感じて、関係者、機関投資家などを巻き込みながら、株主提案として独自の候補を送り込み、勝つことは不可能といわれる株主総会で「勝利」を収めた、こんな話です。

 帯にあるように、この話、「ドラマよりドラマチックな企業ノンフィクション」に偽りはなさそうです。CEOとして会社改革に手ごたえを感じているところからの突然の辞任要求という挫折、そこからかつての仲間、INAXの伊奈家、機関投資家といった仲間を集めて、株主提案を提起したものの、議決権行使会社は会社側の議決権を推奨して、形勢不利であったものの、最後は奇跡の逆転勝利、本当にドラマを見ているようですし、江口洋介主演、WOWOWでドラマ化されるかもしれないですね。

 さて、ある過去の出来事に対して何かしらの解釈を加えることを「史観」と定義するなら、本書は「瀬戸史観」だと思います。その一方で、会社側はこの辞任騒動について取締役会の意思決定の経緯を弁護士経由で調査報告書を作成していて、本書ではこれを「潮田史観」(p72)と定義しています、この史観を端的に言えば、「瀬戸氏が辞任を申し出た」と。どちらかが正しいか?今から見れば、「瀬戸史観」が正しかったということになりますね。

 たしか国語の教科書に掲載されていたと記憶していますが、芥川龍之介の短編「藪の中」があります、これは黒澤明が「羅生門」として映画化したことでも知られていますね。で、藪の中で起こった男の殺人事件に対して、尋問を受けた7人の証言を並べた話で、それぞれの証言は微妙に異なり、真相が謎に包まれたままという話で、真実がわからないことを「藪の中」とも言います。まあ、「瀬戸史観」、「潮田史観」、すなわち、辞任を申し出たのか、強要したのか、どちらが真実なのかは「藪の中」ですが、様々な史観からフェアに判断する、これは大事ですよね、本書はこうした視点を提供してくれたように思います。

ドラッカー先生に学ぶ完全を求めること

6月 13th, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (ドラッカー先生に学ぶ完全を求めること はコメントを受け付けていません)

 さて、自分にとって本との出会いはかけがいのないもので、ブックオフで220円均一で購入した本がまさに僥倖でした。タイトルは、「往復書簡2 P.F.ドラッカー・中内功 創生の時」(ダイアモンド社、1995年)です。

 これは私淑するドラッカー先生とダイエーの創業者中内功氏との往復書簡です、なぜ、1ではなく2かというと、たまたまブックオフに2があったからです笑、ただ、この2の創生の時、ドラッカー先生の創生の時が綴られていて、目から鱗が落ちたので、シェアです。

 ドラッカー先生の最初の体験は、1930年あたり、彼が20歳前後のドイツのハンブルクでの大学生時代、当時、オペラ劇場は売れ残ったチケットがあれば大学生は無料で入場できたそうです(日本もやればいいですよね)。で、そのオペラ劇場での演目がヴェルディの「ファルスタッフ」、これはヴェルディが最晩年の1893年、80歳で書いた作品です、この80歳で書いた作品にドラッカー先生は「あの夜の衝撃は、一度たりとも忘れたことはない」と衝撃を受けます。

 なぜ、80歳でヴェルディが「ファルスタッフ」を実現できたのか?ドラッカー先生は調べた結果、ヴェルディのこの答えに辿り着きます「音楽家としての全人生において、私は常に完全を求めてきた、そしていつも失敗してきた。私にはもう一度、挑戦する責任があった」、ヴェルディは18歳から音楽家として80歳になるまで、いかに年をとろうとも、けっしてあきらめずに、目標とビジョンをもって自分の道を歩み続けよう、そして、失敗しても完全を求めようと。

 では、どうやって目標とビジョンをもって自分の道を歩み続けるか?ドラッカー先生の次の気づきは、ドイツでの新聞記者での振り返りの経験にあると。20歳前後で入社したドラッカー先生は年に2回、50歳前後の編集長と年2回面談があり、そこで編集長から「集中すべきことはなにか?」、「改善すべきことはなにか?」、「勉強しなければいけないことはなにか?」徹底的に対話したと言います、今でいえば、1オン1ですよね。

 で、この振り返りの経験は、ドラッカー先生にとって、ヴェルディの完全をもとめて努力をするという命題を遂行する上で、欠かせない経験で、彼は毎年1回、完全をもとめて努力しているかを振り返って、目標を立て、そして、「その新しい仕事で成果をあげるためには何をしなければいけないか?」を問い続けなければいけないと言います。

 そして、その問いの答えは、自分で出すだけではなく、上司の教えを参考にする、あるいは、メモして、書きとめて、それで見直して反省する、何をしなければいけないかと常に考えて、完全を求めよと説きます。

 まあ、我々のような凡人にはドラッカー先生のストイックに1年に一度新しい目標を設定して、それを達成するために何をしなければいけないか、そして、完全を求めることは難しいですよね汗 とはいうものの、どんな年に関係なく失敗を恐れず挑戦すること、そして、挑戦するにあたって、常に完全を求めること、そして、完全にするために、何をしなければいけないかと問い続けること、これは大事な視点ではありますよね。

「最高の人生の見つけ方」という「体験」

5月 26th, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (「最高の人生の見つけ方」という「体験」 はコメントを受け付けていません)

 最近読んだ本 「DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール」に大いに刺激を受けました。で、人生が豊かになりすぎる究極のルールとは何か?その答えは、「おカネをためるのではなく、おカネを使って思い出「体験」をつくること」だと。

 たしかにそうですよね。平日は朝9時に会社に出社して、夜は退社して、寝る前だけの生活、さらには、土日も何もせずゴロゴロ過ごす。この本では、このルーチンを「自動運転モード」と定義しています。「自動運転モード」は、おカネをためるのは良いかもしれないですが、かりに、おカネをためて、定年退職して、自由に時間とおカネを使えるといっても、体力的に衰えて、楽しめない場合もあります。

 だからこそ、老後に備えて蓄えるのではなく、今にしかできない「体験」におカネを使い、最後は「DIE WITH ZERO」、おカネを使い切ってゼロで死ぬべしと。これはイソップ童話のアリとキリギリスの中間の生き方でもあります。アリのようにひたすら働いて、蓄えるだけではく、キリギリスほどの浪費ではないものの「体験」におカネを使うべしと。江戸っ子的には、宵越しの銭は持たず、とでもいったところでしょうか。

 さて、自分の大好きな映画に「最高の人生の見つけ方(Bucket List)」があります、温かくて泣けるいい映画です。主人公は、傲慢な実業家演じるジャック・ニコルソンと心優しい自動車整備工演じるモーガン・フリーマン。二人はたまたま病院の一室で一緒になり、かつ、二人とも末期がんを患っており、余命半年。二人は人生の終わりを知って、やりたいことリスト(Bucket List)を心ゆくまで「体験」します。日本でも、吉永小百合、天海祐希でリメイクされましたね、二人は最後、宇宙に行ってしましました笑

 で、いままで、最高の人生の見つけ方じゃなくて、どうしてバケットリストとか原題にしなかったのだろう、と思っていましたが、この本を読んで腹落ちしました。最高の人生とは、おカネではなくて、「体験」だと。さらには、人生の最後を知った時点で、その体験におカネを使うことが「最高の人生の見つけ方」だと。これは、深くて素晴らしい和訳ですね。

 さて、自分にとっておカネを使っても得たい「体験」は何だろう、後から振り返って思い出の配当となるのは何だろうと。まあ、やっぱり、ひたすら働いて老後のためにおカネをためることではないと思います。あとは、休みをダラダラ過ごすのもつまらないですね。さらには、スカイダイビングもやりました、エジプトのピラミッドもいきました。やっぱり、泣くほど笑うでしょうか笑いずれにしても、もっと「体験」に投資して、最高の人生の見つけたいと思いました。

株価にみる「自分ごと」と「他人ごと」

5月 8th, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (株価にみる「自分ごと」と「他人ごと」 はコメントを受け付けていません)

 さて、日本電産の永守さんCEOに復帰するそうですね、理由は業績と株価が不甲斐ないからと。念のため、とくに、どの会社を特定しているわけではありませんが、株価について思うところというか、思いを改めました。

 最近はだいぶ少なくなりましたが、一時、時価総額経営というのが持て囃されました。株価(時価総額)をいろいろな手段を使って上げて、株価が高くなったところで増資をし、調達した資金で会社を買収するなりして、株価を上げて、さらに増資の繰り返すと。

 自分の感覚では、ライブドア事件以前までは、時価総額経営は良いことだという風潮でしたが、その後は強欲だとか、資本主義の負の側面だ、のようにあまり良い意味でとらえられないように思います。自分も割とアンチ時価総額経営に与していて、株価は適正な企業業績に上で決まるので、株価を無理に釣り上げるものではないのではと思っていました。

 ただ、最近思いを改めるようになっていて、株価を上げるのは経営の仕事と思います。つまるところ、それは株価をどこまで「自分ごと」にできるかなのではないかと。やはり、株価ほど、「他人ごと」にできるものはありません。ウクライナで戦争が起きれば株価は下がるし、アメリカで金利が上がれば株価は下がります。そして、ウクライナの戦争もアメリカの金利も、一企業の経営者がコントロールできる話ではありませんよね。さらに、株価自体も市場が決めるもので、一企業ができることはそれほど多くありません。

 ただ、ウクライナの戦争、アメリカ金利上昇で株価が下がっているから、それは仕方ないと「他人ごと」にするのか、どんな外部環境であっても、成長戦略を示して、業績をあげて、会社の価値をあげて、株価を上げる努力をする「自分ごと」にするか、この差は大きいと思います。

 で、この「他人ごと」と「自分ごと」の差は、オーナーシップ(株式持ち分)の差かなと。いわゆる、サラリーマン社長のようにオーナーシップが少なめの場合、株価が下がっても自分のフトコロが痛むわけではないので、やはり、「他人ごと」になりがちですよね。一方で、創業者・オーナーの場合、自分の資産に直結するので「自分ごと」になりやすく、オーナーシップが多めの経営者のパフォーマンスが比較的良いのも、「自分ごと」という観点で割と説明できるようにも思います。

 というわけで、投資のヒント。よく経営者インタビューで「株価についてどう見ておられますか?」という質問がありますが、「国際情勢の緊迫感で株価全体が下がっているので、仕方ない」よりも「国際情勢の緊迫感で株価全体が下がっているが、あらゆる手を尽くして株価を上げたい」、こちらですよね。

アンラーニングに思う

4月 26th, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (アンラーニングに思う はコメントを受け付けていません)

 先日、ある方と話をして、「アンラーニング」なるものがあるそうで、寡聞にして初めて知りました。アンラーニングは、「学習棄却」と訳すそうです。学習するのが人間たる所以なのに、なぜに学習を棄却するのかと?

 当たり前ですが、ラーニングは大事です。義務教育であれば、国語、算数、理科、社会、英語、社会人になっても、語学、プログラミング、会計、マーケティング、などなど、いろいろな学ぶべき分野があり、そうしたラーニングの重要性は言うまでもありません。

 ただ、こうした基礎とはやや離れますが、成功体験というのもありますよね。たとえば、営業が、ちょっと工夫した提案がクライアントに採用されて、受注に至ったとか、この成功体験もラーニングの積み重ねでもあります。

 一方、こうした成功体験が仇になることもありますよね。一度、上手くいった営業手法も、時代の流れとともに、通用しなくなることはよくあります。だからこそ、アンラーニング、学習棄却、忘れることも大事なのかもしれません。

 ちなみに、ディープラーニングは人間の脳の仕組みをマネしたアルゴリズムで、そのなかで、ドロップアウトという手法があります。これは、ざっくり言うと、学習する際、全部を丸暗記して学習するのではなく、一定の割合をドロップアウト、すなわち、落とす(忘れる)機能で、忘れることによって、学習の汎用性が生まれ、ディープラーニングのブレークスルーにもなりました。

 じゃあ、どうやって、「アンラーニング」するのか?学習するのはやろうと思えばできますが、学習棄却するのは、やろうと思ってもできませんよね、、汗 まあ、あるとしたら、虚心坦懐というのでしょうか、先入観を持たず、過去の成功体験にとらわれない素直な心かもしれません。松下幸之助翁もこうおっしゃってます「要は逆境であれ、順境であれ、その与えられた境遇に素直に生きることである。謙虚の心を忘れぬことである。」と。

 というわけで、話戻って、アンラーニング、たしかに、学習棄却という点では大事な視点かもしれないですが、棄却するも、受け入れるも、自身の心持(マインドセット)なのかもしれないですね。

ググらない旅

4月 3rd, 2022 | Posted by admin in 長橋のつぶやき - (ググらない旅 はコメントを受け付けていません)

 今日の日経新聞の沢木耕太郎のエッセイ「ただそれだけで」、いろいろ思うところがありました。自分は沢木耕太郎のファンで、最近は少なくなりましたが、新刊が出れば真っ先に読みます。彼は1947年生まれ、もう75歳なんですね。。 

 入口は、やはり、「深夜特急」です、会社をやめて、突然旅にでることを思い立った26歳の彼が、香港からロンドンまでバスを乗り継いで旅をする、言わずと知れたバックパッカーのバイブルですね。さらには、アマゾンで文明と接触したことのないイゾラドを追ったドキュメント「イルカと墜落」、登山家山野井泰史がヒマラヤの難峰ギャチュンカンの登攀記「凍」もいいですね。

 さて、このエッセイ、彼が東北地方を訪問して、近くにいい居酒屋ないか?と黒服に尋ねたところ、地元じゃないとわからなさそうな店を教えてもらい、その居酒屋で至福の時を過ごしたものの、マスターから最近では食べログを見て、訪問する客が多いことを知り、それは「もったいない」だろうと。

 自分はどちらかと言えば、この食べログ派で、知らない街で、何か食べるとなるとたいてい食べログをチェックして、レーティングが高い店を訪問してます。ただ、これはまさに彼の指摘の通りで、知らない街で、食べログに頼らず、いろいろと試行錯誤を重ねながら、たまたま見つけた店と食べログで見つけた店との間では、やはり、違いがありますよね。

で、「深夜特急」でも、彼はバンコクからインドを端から端まで見たいと、カルカッタ(いまではコルカタですね)まで飛行機で飛びます。そして、カルカッタの空港で偶然東北大学の学生と出会い、インスピレーションのまま、一緒にホテルにいったら、それは素晴らしいところだったと。「深夜特急」は、こうしたググる以前の偶然の邂逅のエピソードの塊でもあり、それが面白いんですね。

 さて、このエッセイ、沢木耕太郎の「深夜特急」から変わらず連綿と受け継ぐ旅のココロを見た気がしました。旅というのは、ググって、その場所を見るのではなく、知らない場所で試行錯誤しながら偶然の邂逅を楽しむことに魅力がありそうです。

APUの出口さんは、「メシ、風呂、寝る」から「人、本、旅」に変えるべしと諭します。本当にこれはその通りで、バックグラウンドの違う人と会う、いろいろな本を読む、そして、「ググらない旅」で試行錯誤して、偶然の邂逅を楽しんで、視野を広げる。まだまだ、コロナも収束はしていませんが、国内、そして、海外もだいぶ近くなりそうですよね、今年は「ググらない旅」を楽しんでみようと思いました。