いままで、テクノロジーについて何度か書く機会がありましたが、テクノロジーに対する自分の理解は「波」です。「波」にも、すぐに消える「さざ波」、高く押し寄せる「ビッグウェーブ」があるように、テクノロジーにも、すぐ消える「さざ波」、一大トレンドになる「ビッグウェーブ」があるように思います。後者の「ビッグウェーブ」では、インターネット、モバイル、AIあたりでしょうか。
で、自分の経験・理解では、この「ビッグウェーブ」に乗りつづけるのは難しいということです。たとえば、やや前の話ですが、前職では、スマホの前のガラケーのソフトウェア開発をしていました。で、世の中に携帯電話が登場しはじめた90年代後半から10年くらい「ビッグウェーブ」が来ました。が、そのあと、iPhoneが登場してスマホという次の「ビッグウェーブ」が来ました。世の中の「波」をちゃんと見ることができる波乗り上手であれば次の「ビッグウェーブ」に乗れるのでしょうが、こうした機を見るに敏はなかなか難しいなぁ、という問題意識を持っています。
さて、今週の月曜である3月24日(月)、慶應の卒業式に参加しました。卒業式は、卒業後25年経つとご紹介いただけるイベントです。自分はSFCだったので、日吉キャンパス訪問は在学中も数えるほどでしたが、だいぶ久しぶりに参加してきました。その卒業式で、伊藤塾長の式辞に思うところがありました。いわく、「現代のテクノロジースキルの平均寿命は5年で、短いものだとたった2年半しか続かない。つまり、自分が身につけたスキルは2年半から5年で陳腐化するため、仕事上の新しい挑戦を克服するためにも、学び続ける力が必要なことは明らかと。で、何のために学び続けるのか?それは、個人としての自由独立を得ることであり、それは福澤先生のおっしゃった「一身独立して、一国独立する」の言葉通り、国や社会としての自由独立につながる」と。
このテクノロジーの「波」の話と、伊藤塾長の式辞、自分の中ではつながるところがありました。テクノロジーの「波」には、「ビッグウェーブ」があるかもしれないが、基本は、永遠に続くことはなく、いつか陳腐化する、たとえ、「ビッグウェーブ」に乗ったとしても、そこに安住しないで、常に学び続けること、それが機を見るに敏につながるのではないかと。もう一つは、テクノロジースキルも陳腐化するので、全部をやらなくてもよいかもしれません。「波」を根気強く待っていれば、「ビックウェーブ」が来るように、「待つ」ということも選択肢の一つかもしれません。気が付けば、最近こうした話を聞く機会も減っており、よい気づきの機会となりました。